【結論】キッチンミノルさんはもともと落語家志望でした。夢に破れ、営業マンを経て2005年に脱サラしています。
- 10代の夢は落語家。18歳であきらめている
- 次に受けた日本映画学校なども不合格
- 進んだ先は法政大学人間環境学部。ここで写真に出会う
- 就職先は不動産販売会社。宅建まで取っている
- 2005年、写真家・杵島隆に認められて会社を辞める
- 落語家の夢をあきらめるまでの流れ
- 脱サラのきっかけをつくった大御所写真家
- 数ある道の中で写真が残った理由の予想
- 営業マン時代がいまの仕事に効いているという見方
8月2日にNHK総合で放送される
「アイカタ」に出てくる
写真家キッチンミノルさん。
この方の職歴を追うと、
カメラにたどり着くまでが長すぎます。
高座、映画、そして不動産。
どこにも写真は出てきません。
【予想】落語に見放された人が、結局カメラに落ち着いたわけ
ここからは編集部の予想です。
先に言い切ります。
この方は表現をやめたのではなく、使う道具を口からレンズに替えただけだと見ています。
落語と写真は、
やっている中身が驚くほど近いのです。
そう見る手がかりを3つ。
手がかり1:どちらも「人を見せる」商売
落語という芸は、
登場人物の表情やしぐさを
たったひとりで演じ分けるものです。
そしてこの方の得意分野は
人物と料理の撮影だと紹介されています(八重洲ブックセンター)。
人のいちばんいい瞬間をどう出すか——
目的はまるで同じです。
舞台の上でやるか、
シャッターでやるか。
違いはそこだけとも言えます。
手がかり2:はじめて「認められた」のが写真だった
会社を辞める決め手になったのは、
写真家杵島隆さんに
作品を褒められたことだとされています(アイスム)。
ここが効いています。
落語では芽が出なかった。
映画学校は落ちた。
そこへ写真だけが評価されたのです。
表現の道を捨てきれずにいた人に、唯一開いた扉がカメラだった。
そう読むのが素直でしょう。
手がかり3:営業の経験がそのまま武器になっている
大学を出たあとは不動産販売会社へ。
宅地建物取引士の資格まで取っています。
写真とはまったく無縁の資格です。
ただ、不動産の営業といえば
初対面の相手と一気に距離を縮める仕事。
人物撮影で問われるのも、まさにそこです。
寄り道に見えた会社員時代が、そのまま人物写真の土台になった。
この経歴に、
捨てた時間は一つもなさそうです。
高座を目指していた10代のころ
公式プロフィールによれば、
高校時代は勉強そっちのけで落語・映画・麻雀にはまっていたそうです。
そして18歳で噺家を志すも断念。
そのあと受けた日本映画学校なども
落ちてしまいます。
10代の終わりに、行きたい道を続けて2つ閉ざされているわけです。
そこから法政大学へ進み、
ようやく写真と出会います。
背中を押した写真家・杵島隆さんについて
お名前だけでは分かりづらいので、
ざっとまとめます。
| お名前 | 杵島隆(きじま たかし) |
| 生まれ・没年 | 1920年12月24日 〜 2011年2月20日 |
| ご職業 | 写真家 |
| 関わり | キッチンミノルさんの写真を認め、独立のきっかけになった |
2011年に亡くなられているので、
すでに故人です。
キッチンミノルさんが独立した2005年当時、
杵島さんは80代半ばだった計算になります。
大先輩のひとことが、20代の会社員の進路をひっくり返したという話です。
独立してからの歩み
| 年 | できごと |
|---|---|
| 2001年 | 六大学写真展で銀賞。学生のうちから評価される |
| 2005年 | 会社を辞めて独立。同じ年にAPA公募展(第33回)入選 |
| 2009年 | APA公募展(第37回)入選 |
| 2017年 | 『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』の写真を担当 |
| 2019年 | APA公募展(第47回)入選 |
| 2021年 | しゃしん絵本作家としての活動が本格化 |
| 2024年 | 個人出版社「テキサスブックセラーズ」を設立 |
注目したいのは、
独立したその年にもう公募展へ入選していること。
勢いだけで辞めたわけではないと分かります。
しかも2019年にも入選。
独立から14年たっても、まだ公募展に出し続けているのです。
8月2日の放送はここが効いてくる
放送日時は2026年8月2日(日)11時20分から11時49分、NHK総合。
番組は「アイカタ 〜大切な人の“イイところ”撮ってきてください〜」シーズン2の第2回です。
この回でカメラを構えるのは
落語家の春風亭一之輔さん。
レンズの先に立つのがキッチンミノルさんです。
落語家になれなかった人が、本物の落語家に撮られる。
経歴を頭に入れてから見ると、
この配置がじわじわ効いてきます。
気になる点をQ&Aで
Q1. どの師匠に入門しようとしていたのですか?
一門や師匠の名前は明かされていません。プロフィールにあるのは「18歳で噺家を志すも断念」という一行だけ。実際に入門したのか、志望のままだったのかも書かれていないため、決めつけは避けます。
Q2. 映画学校に落ちた話は事実ですか?
ご本人の公式サイトに「日本映画学校などの受験に不合格」という趣旨で書かれています。落ちた話をあえて残す人はまれですから、それだけ大きな出来事だったのだと思われます。
Q3. なぜ宅建を持っているのでしょう?
大学卒業後に不動産販売会社に勤めていたからです。仕事上必要な資格として取ったとみられます。いま写真の現場で使う機会があるかどうかまでは分かりません。
Q4. 会社員だった期間はどのくらい?
在籍年数は公表されていません。大学卒業後に就職し、2005年に辞めて独立したという流れだけが分かっています。数年ほどと推測できますが、確かな数字ではありません。
Q5. 杵島隆さんの弟子だったのですか?
弟子入りしたという記述は見つかりませんでした。あるのは「作品を評価された」「褒められた」という表現だけです。師弟と書くのは行き過ぎになるため、この記事では使っていません。
Q6. 落語とのつながりはもうないのですか?
むしろ続いています。落語家春風亭一之輔さんの著書『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』の写真を担当し、長年ポートレートを撮ってきました。落語の世界とは今も地続きです。
Q7. 大学ではカメラのサークルに?
在学中に写真の面白さに出会い、2001年に六大学写真展で銀賞を取っています。六大学写真展は大学の写真サークルが出展する場ですから、学内で活動していたのはほぼ確実です。団体の正式名までは公表されていません。
Q8. 写真の専門学校には行ったのですか?
通ったという記述は見当たりません。公表されているのはむしろ映画学校に落ちたほうです。学校ではなく公募展と現場で腕を上げた型と思われますが、これは推測になります。
おわりに
キッチンミノルさんは
18歳で落語家の夢に破れ、
映画学校にも落ち、
不動産の営業マンになりました。
変わったのは2005年。
写真家杵島隆さんに認められ、
会社を辞めてカメラ一本になります。
落語で果たせなかった
「人を見せる」という願いを、
結局はレンズで叶えている。
そう考えると腑に落ちます。
8月2日は、その相手が落語家。
遠回りの答え合わせのような30分になりそうです。

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