後藤圭司さんとは何者?競輪18年から整骨院経営へ|Switch出演のプロフィール

    【結論】後藤圭司さんの正体は、18年間バンクを走った元競輪選手であり、今は整骨院を営む柔道整復師です。ミスチルのツアーにも同行しています。

    本記事はプロモーションを含みます。

    • 誕生日は12月19日、生まれ年は1973年
    • お店の公式紹介は「静岡県裾野市出身」だが、生まれた土地は熊本県
    • 競輪の登録番号は013189、78期。走った期間は1996年から2014年まで
    • 選手を続けながら国家資格を取り、選手のままお店を開いた
    • オンエアは2026年8月24日(月) 22時54分から、日テレ

    「Switch-背中を押してくれたあの人-」の予告に後藤圭司さんという方が出てきます。
    紹介は競輪選手から柔道整復師へのひとこと。
    正直、これだけでは何をしている方なのか見えてきません。
    そこで公になっている資料をたどって、人物像をまとめました。

    この記事で分かること
    • 年齢と、生まれた土地・育った土地の違い
    • バンクを走っていた頃の記録
    • 引退後に増えていった仕事
    • この番組に選ばれた背景の予想
    目次

    【予想】数ある元アスリートの中で、なぜこの方に白羽の矢が立ったのか

    ここからは当ブログの予想です。
    スポーツをやめて別の職に就いた方は、世の中にいくらでもいます。
    それでも後藤さんが取り上げられるのは、職業を変えたこと自体ではなく変え方の段取りに理由がありそうです。

    先に答えを書いてしまうと、
    後藤さんは「やめてから次を考えた人」ではなく「やめる前に次を完成させていた人」だからだと予想します。
    世間一般とは段取りが真逆なのです。
    根拠を6つ並べます。

    根拠1:学校に通ったのが選手を辞める前

    柔道整復師になる学校へは、レースに出ながら3年間、夜間で通い続けたそうです(日本の資格・検定)。
    やめてから学び直したわけではありません。
    昼はバンクを走り、夜は教室にいた計算になります。
    引退が視野に入る前から準備が始まっていたわけです。

    根拠2:お店の開業が引退より早い

    ここがいちばん変わっている部分です。
    「ボディメンテナンス整骨院」がオープンした2014年、後藤さんはまだ選手でした。
    ご本人も「オープン当初は現役でした」と話しています。
    そしてお店を開いたその年に引退しました。
    普通は辞めてから店を構えますが、順番が入れ替わっています。
    入ってくるお金の道が、辞める前に用意できていたことになります。

    根拠3:資格を取ろうと思った理由が「将来のため」ではなかった

    始まりが少し変わっています。
    後藤さんいわく「最初は自分の身体のためでもありました」
    ケガで病院や鍼、整体をまわっても、自分の症状をうまく説明できないのが悔しかったそうです。
    それを言葉にできるようになりたくて勉強を始めたと語っています。
    老後の設計から逆算したのではなく、その日の不便が出発点でした。

    根拠4:現役のうちにアルバイトで世間を知っている

    接触のペナルティで1カ月の出場停止を食らったとき、奥さまのすすめで近所の自転車屋さんで時給950円働いています。
    その頃の平均年収はおよそ2,000万円だったといいますから、落差はかなりのものです。
    「いらっしゃいませ」が言えない、電話も取れないところから始まったと振り返っています。
    これを1年続けたことで、引退後にいきなり世間へ放り出される展開を避けられたと予想します。

    根拠5:自分の苦労を後輩のための場所に変えた

    2024年にできた2号店「fimm/eyja」は、働いているスタッフが全員、現役か元アスリートという珍しい店です。
    後藤さんは「僕自身がアスリートの”潮どき”について苦労したところもあった」と述べ、この場所が後進の受け皿になればと考えて作ったと語っています。
    体験談を語って終わりにせず、後から来る人が同じ目に遭わない置き場にしている点が大きいと見ています。

    根拠6:番組タイトルと本人の口ぐせが同じ

    番組の副題は「背中を押してくれたあの人」。
    いっぽう後藤さんは、半生を語ったインタビューを「きっかけをくれるのは、人との出会いなんです」という一文で結んでいます(another life.)。
    番組が掲げるテーマを、ご本人が10年以上前から同じ言葉で口にしていたことになります。
    企画側から見れば、これほど噛み合う相手はいないはずです。

    ここから先は完全な想像です。
    放送では誰が背中を押したのかが明かされるはずですが、その名前は事前情報に出ていません。
    過去のインタビューをたどると中学の担任の先生、憧れていた先輩選手、奥さまと候補が何人も出てきます。
    どなたが選ばれるかは、当日を待つしかありません。

    以上はすべて当ブログの予想です。
    後藤さんご本人や制作側が出演の理由を語った記録は見つかりませんでした。

    プロフィールを一覧にすると

    裏が取れているものだけを並べます。

    項目内容
    読み方ごとう けいじ
    生まれ年1973年
    誕生日12月19日
    生まれた土地熊本県
    お店の公式表記静岡県裾野市出身
    登録番号013189
    期別78期
    脚質
    選手だった期間1996年〜2014年
    いまの肩書きBMKG株式会社 代表取締役/柔道整復師

    整骨院のサイトには「12月19日生まれ、静岡県裾野市出身」とあります。
    ところがご本人が語った半生記では生まれたのは熊本県
    食い違って見える理由は、このあとの見出しで触れます。

    ちなみに柔道整復師は国家資格にあたります。
    放送を見て資格そのものが気になった方のために、テキストや問題集を探せる場所を貼っておきます。

    ▼ 柔道整復師のテキストを探すならこちら

    ※品揃えや値段は変わります。詳しくはリンク先をご覧ください。

    引っ越しだらけの子ども時代と、テレビで見た賞金ボード

    幼い頃の後藤さんは、住む土地が何度も変わっています。

    タイミング移った先
    誕生熊本県
    幼稚園のころ香川県
    小学2年愛知県
    小学5年静岡県裾野市
    中学を出て家を離れ東海大一高校へ

    最初の夢はプロ野球選手でした。
    ところが小学5年で裾野市に移ったところ、本格的にやれる野球チームが無く、そのまま野球から離れてしまいます。

    転機はテレビでした。
    たまたま映った自転車レースで、優勝者が掲げた賞金ボードに3000万円近い数字があったのです。
    お父さんに尋ねて「競輪だ」と知り、その日を境に目標が決まりました。

    中学では部活に入らず、となり町・沼津市のロードレースチームへ。
    放課後は毎日30キロほどペダルを踏んでいたそうです。
    公式の紹介が裾野市になっているのは、競輪選手・後藤圭司が始まった場所がここだからと考えるのが自然でしょう。

    引退してから、むしろ仕事が増えた

    選手を辞めて10年あまり。仕事は減るどころか枝分かれしています。

    いまの活動中身始まり
    ボディメンテナンス整骨院新豊洲MIFA Football Park内の1号店2014年
    fimm/eyja晴海フラッグ内の2号店。運動ベースの調整room2024年
    ツアートレーナーSEKAI NO OWARI、SKY-HI、Mr.Children桜井和寿さんに帯同ゴスペラーズ安岡優さんの対応が発端
    アスリートの調整一般の方からプロまで。本人いわく「カラダコンサル」
    ワイルドマジックバーベキュー場運営会社のプロデューサー2015年時点の情報

    会社の名前はBMKG株式会社で、後藤さんが代表取締役です。
    ご本人によると、整骨院の仕事とライブ同行の分量はだいたい半々とのこと。
    選手時代の知識がそのまま商売になっている形です。

    勘違いしやすいところ

    ありがちな読み違い実際に確認できること
    裾野市で生まれ育った生まれは熊本県。裾野市は小学5年からの土地
    辞めてから資格を取りにいった現役のまま3年間、夜間の学校に通った
    辞めてから店を構えた開業時はまだ選手。開いた年に引退した
    ケガだけが引退の理由大ケガに加えて報酬の減額や家庭の事情もご本人が挙げている
    柔道をやっていた柔道整復師は資格の名前。柔道の経歴とは別の話

    よくある質問

    Q1. いまおいくつですか?

    生まれ年が1973年、誕生日が12月19日と出ています。
    放送日の2026年8月24日の時点では52歳ということになります。

    Q2. ご家族は?

    奥さまがいらっしゃいます。インタビューで何度も登場する方です。
    東京へ出る判断も、自転車屋さんでのアルバイトも奥さまの提案でした。
    ただお名前や結婚された時期は明かされていません
    お子さんの話も出てきますが、人数や年齢までは書かれていません。

    Q3. 引退を決めた理由は何だったのですか?

    ひとつではありません。
    鼻や目のまわりの骨を折る大ケガ、脳挫傷や肺挫傷の経験、業界の不況で報酬が下がったこと、さらに子どもを東京で育てたいという奥さまの希望を挙げています。
    もともとは70歳まで走るつもりだったそうです。

    Q4. お店の場所はどこですか?

    1号店は新豊洲のMIFA Football Park内にあります。
    2号店の「fimm/eyja」は東京都中央区晴海のHARUMI FLAG内です。

    Q5. 強い選手だったのでしょうか?

    最高位はS級です。
    ただしG1のような特別競輪に出た記録は残っていません
    ご本人も「S級とA級を行ったりきたりしてました」と語っていて、頂点に立ち続けた選手ではありませんでした。

    Q6. 何時から放送ですか?

    2026年8月24日(月)22時54分から23時00分、日本テレビです。
    ナレーションは中村悠一さん。
    6分間のミニ番組です。

    まとめ

    後藤圭司さんは1973年生まれ、熊本で生まれて静岡県裾野市で育った元競輪選手です。
    1996年から2014年まで18年間バンクを走り、選手のまま資格を取り、選手のまま店を開くという珍しい順番で次の道に移りました。

    今はBMKG株式会社の代表として2つの店を持ちながら、Mr.Childrenの桜井和寿さんらのツアーに同行するトレーナーとしても働いています。
    2026年8月24日(月)22時54分からの日本テレビ「Switch」で、その分かれ道が語られます。

    参照リンク

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