甲子園のラッキーゾーンは両翼85.4m!復活論が進まないのは席にできない空き地とみる

    本記事はプロモーションを含みます。

    【結論】ラッキーゾーンがあった頃の甲子園は、両翼が85.4mまで縮んでいました。撤去は1991年12月で、その後も復活の正式発表は確認できていません。

    @shougun0315

    なぜ甲子園に昔あったラッキーゾーン無くなってしまったの?#野球

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    • 設置は1947年5月26日、撤去は1991年12月
    • 両翼は103.6m→85.4mまで縮められ、現在は95m
    • 他球場は観客席を作る形で同じ効果を出しています
    • 甲子園はゾーン内にブルペンを抱えていた構造でした

    甲子園でホームランが出にくい、という話が出るたびに顔を出すのがラッキーゾーン復活論です。
    他球場では似た改修が次々に実現しているのに、甲子園だけ動きが見えません。

    この記事では、当時どれくらい狭かったのかを数字で押さえたうえで、他球場との違いを比べていきます。
    先に早見表を置いておきます。

    比べる点ラッキーゾーンいまのテラス席
    正体金網の仮柵観客席
    柵の内側ブルペンなどの空き地座席
    出し入れ仮柵なので撤去しやすいPayPayドームは24時間で設置・撤去
    代表例甲子園・西宮・神宮PayPayドーム・ZOZOマリン
    この記事で分かること
    • ラッキーゾーン時代の正確な広さ
    • 他球場のテラス席との決定的な違い
    • 撤去のときに球場で何が動いたか
    • 復活論のいまの位置づけ
    目次

    【考察】甲子園でラッキーゾーンの復活が形にならないのはなぜか

    ここからは編集部の予想です。

    編集部の予想:戻すと「席にできない空き地」を抱え直すことになるとみます

    復活論が形にならない一番の引っかかりは、従来のラッキーゾーンが観客席を1つも生まない設備だった点にあると読みます。
    他球場が実現させたのは観客席を前に出す改修で、性格がまるで違います。
    甲子園に従来の形で戻すと、フィールドの内側に観客席にならない空間を作り直すことになります。

    根拠1:他球場が作ったのは柵ではなく座席でした

    2013年に楽天の本拠地へEウィング、2015年に福岡PayPayドームへホームランテラス、2019年にZOZOマリンスタジアムへホームランラグーンが設けられました(ウィキペディア「ラッキーゾーン」)。
    いずれもフィールド内に観客席を設ける形の改修として紹介されています。
    Eウィングは両翼101.5mが100.1mに、ホームランテラスは左右中間が最大6m、ホームランラグーンは本塁打となる範囲が最大4mそれぞれ手前へ動きました。
    福岡PayPayドームについては、球団発表でラッキーゾーンという語が使われた例は確認できません。
    呼び名が違うだけでなく、中身そのものが別の設備だと考えたほうが正確です。

    根拠2:甲子園のゾーン内にはブルペンが入っていました

    球場公式の年表には、撤去がブルペンの移設を伴ったと記されています。
    ラッキーゾーンにあったブルペンは1塁側・3塁側のボックス席前のファウルグラウンドへ移され、ブルペンとベンチをつなぐ電話などの設備も新設されました(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。
    つまり撤去は柵を外すだけの作業ではなく球場改造でした。
    戻す場合も、ブルペンなどの配置を含めた球場改修が必要になる可能性があります。

    根拠3:高校野球の会場という顔があります

    甲子園は春の選抜と夏の選手権が開かれる会場でもあります(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。
    撤去のときも、高校野球で金属バットの導入により本塁打が増えたことを理由に高野連が撤去を提案したと記録されています。
    本塁打が出やすい形へ戻す話は、当時の撤去理由と逆を向くことになります。
    高校野球との関係もあるため、単純には進めにくいテーマだと考えられます。

    この予想が外れるとすれば

    外れる可能性があるとすれば、甲子園が座席を増やす形で似た改修に踏み切った場合です。
    他球場と同じ設計にすれば、空き地の問題は消えます。
    実際、浜風の影響を受ける左打者の契約更改で話題に上がるという指摘は残っています。
    ただし、この話は球場からの正式な発表が確認できない段階にとどまります。
    2024年8月1日に開場100周年を迎えた球場であり(阪神甲子園球場 これまでの歩み)、構造に手を入れる判断は慎重にならざるを得ないとも感じます。

    ここまではあくまで予想であり、断定ではありません。
    復活の可否を球場が説明した資料は見当たらないため、判断材料は既存の記録に限られます。

    当時の甲子園はどれくらい狭かったのか

    数字を並べると、印象よりもはっきりした差が出ます。

    状態両翼補足
    1936年の改修後103.6m340フィート
    1947年 設置後85.4m280フィート
    展示フェンスの表示91m甲子園歴史館に現存
    現在95m中堅118m・左右中間118m

    設置時点で両翼が18m以上も前に出た計算になります。
    効果もはっきり出ており、1947年シーズンは設置までの36試合で柵越え本塁打が0本だったところ、設置以降の77試合で60本を記録したと伝えられています。

    資料によって両翼の数値が異なるのは、1936年の改修後と1976年の改装後で基準が違うためです。年代を確認してから読み比べると混乱しません。

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    そもそも何のために作られた設備だったのか

    球場公式は、甲子園が野球以外のスポーツも楽しめるように設計されたためグラウンドが大きく、ホームランが出づらかったと説明しています。
    そこで後楽園球場の広さに合わせてフィールドを狭める仮柵を設置した、という流れです(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。

    戦前は1試合あたりの本塁打数が後楽園球場の10分の1以下だったとも伝えられています。
    その後楽園は両翼78mでした。
    甲子園で本塁打が出にくい状況を埋めるための設備、という位置づけになります。

    甲子園以外にも、鳴海球場・阪急西宮球場・明治神宮野球場・西京極球場・倉吉市営野球場・平和台野球場に同様の柵が設けられました。
    つまり甲子園だけに特有の設備ではありませんでした

    撤去のときに動いたもの

    公式年表には「1991.12 ラッキーゾーンを撤去、それに伴いブルペンを移設」と記されています。
    撤去日を12月5日とする記録もあります。

    撤去の背景としては、1980年代以降に国際規格を満たす球場が各地へ建てられたこと、高野連からの撤去提案があったこと、そして仮柵ゆえにラバーが貼られていなかった安全上の問題が挙げられています(ウィキペディア「ラッキーゾーン」)。
    京都の西京極球場は1988年に先行して撤去しています。

    撤去された柵は、いまも一部が残っています
    甲子園歴史館には91mのプレートを付けたままのフェンスが展示されているほか、兵庫県立西宮今津高校の中庭や愛知県立春日井西高校のグラウンドにも渡っていると紹介されています。

    Q&A

    Q1. ラッキーゾーンは和製英語ですか?

    和製英語で、英語に相当する単語はないと説明されています。
    普及は早く、設置から3年後に発行された『少年朝日年鑑 1950年版』の野球用語紹介にはすでに載っていたと伝えられています。
    設置当初は柵にLUCKY ZONEと書かれたパネルが貼られていました。

    Q2. いまも残っている球場はありますか?

    倉吉市営野球場で常設されていると紹介されています。
    ゾーン内にナイター設備の支柱があるため、撤去が難しい事情があるとされます。
    藤井寺球場のようにコンクリート製だった例もありましたが、球場自体が2004年に閉場しました。

    Q3. 撤去で甲子園はどう変わりましたか?

    両翼が95mになり、中堅118m・左右中間118mという現在の形になりました。
    左右中間は中堅と同じ118mです。
    ラッキーゾーンがあった時代は、本来の外野フェンスより手前に金網の仮柵が設けられていました。

    Q4. 復活の話は本当に出ているのですか?

    話題になることはありますが、球場からの正式な発表は確認できていません
    浜風の影響を受ける左打者の契約更改で火種になるという指摘は残っています。
    本記事の考察部分は編集部の予想であり、決まった方針を伝えるものではありません。

    Q5. 過去に撤去が検討されたことはありましたか?

    1979年ごろにも撤去案が議論され、浜風の影響が少ないレフト側だけ外す案まで出たものの、高校野球との兼ね合いで実現しなかった、という話が伝わっています。
    ただし伝聞の形でしか確認できないため、確定した事実としては扱えません。

    Q6. 撤去後に阪神は変わりましたか?

    撤去翌年の1992年に成績が上向いたため、撤去がきっかけとされることもあります
    ただし因果関係を示した資料は見当たらず、断定はできません
    一つの見方として受け止めておくのが無難です。

    今後の見通し

    他球場の改修が席を増やす方向で進んでいる以上、甲子園で議論が起きるとしても仮柵の形ではない可能性が高いと考えています。
    座席を設ける形なら、従来の仮柵とは別の改修になるからです。

    一方で、甲子園は高校野球の会場という顔を持ち続けます。
    高校野球との関係もあるため、グラウンドの改修は単純には進めにくいと考えられます。
    復活論を見かけたときは、誰の合意が必要な話なのかまで一緒に確認すると、実現度が見えやすくなります。

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    まとめ

    ラッキーゾーンがあった頃の甲子園は、両翼が85.4mまで縮んでいました
    1947年5月26日に登場し、1991年12月に姿を消しています。

    復活論が形にならない理由として、編集部は席にできない空き地を抱え直すことになる点を挙げました。
    他球場が実現させたのは観客席を前に出す改修で、仮柵とは別の設備です。

    ゾーン内にブルペンがあり、撤去がその移設を伴った点も見落とせません。
    戻す話は、それだけで球場改造の規模になります。
    次に復活論を見かけたときは、席になるのかどうかを確認してみてください。

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