「最後の明治人」の賀川滋子さんってどんな人?大和郡山の女医さんの生涯と再放送の日時

    【ひとことで】賀川滋子さんは、明治44年生まれの大和郡山の女医さん。番組の取材から約1年後、115歳で旅立ちました

    番組表に「最後の明治人」というタイトルを見つけて、だれのことだろうと思った方へ。
    語り手は、奈良県大和郡山市で長く医師をしていた賀川滋子(かがわ・しげこ)さんです。

    NHK総合での放送は9月28日(月)午前0時から9月30日(水)午前11時30分から、どちらも20分。
    2025年に放送された回をもう一度流すものです。

    本記事はプロモーションを含みます。

    • お誕生日は明治44年(1911年)5月28日
    • ふるさとは奈良県大和郡山市
    • お仕事は産婦人科と内科のお医者さん
    • 109歳で東京五輪の聖火ランナー
    • 2026年8月27日、115歳で死去
    この記事の内容
    • 賀川さんの基本データ
    • 女医さんとしての115年
    • 番組はいつ撮られたのか
    • 再放送の意味について、編集部の予想

    番組の中の賀川さんの言葉やしぐさは、すべて2025年夏の取材のときのものです。
    まずは編集部の予想からお話しします。

    目次

    【予想】再放送は「思い出の番組」ではなく「残すための記録」になった

    ここからは編集部の予想です。
    わたしたちは、この20分は、明治生まれの人が自分の声で暮らしを語った、ほかに代わりのない記録になったと見ています。

    そう感じる根拠を7つ挙げます。

    根拠1:話を聞けたのは、ひとりだけだった。
    番組のプロデューサーは、明治生まれの方に話を聞く企画で、直接お話を聞けたのは賀川さんだけだったと明かしています(ステラnet)。
    最初から「最後のひとり」に近い取材だったのです。

    根拠2:撮影は2025年の夏、4回。
    取材班は奈良のご自宅に4回通ったそうです。
    その1年後の夏の終わりに、賀川さんは亡くなりました。

    根拠3:話の中身が「はじめて」の連続。
    はじめて洋食を食べたときの違和感、はじめて靴を履いたときの驚き。
    いまでは当たり前のものが当たり前になる瞬間を、体験として語れる人はもういません。

    根拠4:働く女性の先がけだった。
    1934年に大阪女子高等医学専門学校(いまの関西医科大学)を出て、1937年に開業しています(Wikipedia)。
    昭和のはじめに自分の医院を持った女性の言葉です。

    根拠5:戦争を大人として生きた。
    終戦の年、賀川さんは34歳。
    番組紹介にある「太平洋戦争末期の恐怖の体験」は、子どもの記憶ではなく大人の記憶です。

    根拠6:取材のとき、とてもお元気だった。
    大和郡山市の取材記事には、職員が持っていた質問メモを手に取り、自分で読み上げながら答えてくれたと書かれています(大和郡山市)。
    記憶も言葉もはっきりしたまま、カメラの前に立てた時期でした。

    根拠7:わざわざ「選」として組まれた。
    9月28日の回には番組表で「選」の文字があります。
    たくさんある過去の回からこの回が選ばれたところに、作り手の思いが見える気がします。

    ちなみに、いまの国内最高齢・京都市の岸本ふよさんも明治44年の生まれです。明治生まれの方がいなくなったわけではありません。それでも、医師として働き、大人として戦争をくぐり抜け、それをカメラの前で自分の言葉にしたという意味で、賀川さんの20分はほかに替えのきかない記録です。

    というわけで、今回の放送は記録を多くの人に届けるための放送だと予想します。
    NHKが理由を説明しているわけではないので、編集部の感じたこととして読んでください。

    賀川滋子さんの基本データ

    項目データ
    読み方かがわ しげこ
    生まれ1911年(明治44年)5月28日
    ふるさと奈良県大和郡山市(当時は生駒郡郡山町)
    学校大阪女子高等医学専門学校
    お仕事産婦人科医・内科医
    国内最高齢だった期間2025年7月29日〜2026年8月27日

    ご実家は江戸時代から続くお医者さんの家だったそうです。
    生まれも育ちも大和郡山という、根っからの地元の人でした。

    番組を見ていると、家族の昔の話をちゃんと聞いておきたくなるかもしれません。
    思い出を書き残すための本やノートもあります。
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    女医さんとしての115年

    とき賀川さんの歩み
    明治44年郡山町に生まれる
    昭和9年(1934年)医学専門学校を卒業、大阪の市民病院の産婦人科へ
    昭和11年(1936年)同じ病院の内科へ
    昭和12年(1937年)開業
    令和3年(2021年)聖火ランナーを務める
    令和7年(2025年)国内最高齢に。夏に番組の取材
    令和8年(2026年)8月27日に死去

    市の取材記事によると、若いころは夜中でもお休みの日でも往診に出ていたそうです。
    下駄で矢田山のほうまで歩いたから足が丈夫、と誇らしげに話していたといいます。

    「みんなを助けてきて、その人たちが喜んでくれて、私を長生きさせてくれている」。
    長生きの秘訣を聞かれたときの、賀川さんらしい答えです。

    番組はいつ撮られたのか

    ステラnetによると、この回がはじめて放送されたのは2025年10月19日
    撮影はその年の夏です。

    番組紹介の「114歳」「虫眼鏡で大谷翔平の記事を読むのが日課」は、撮影当時のお話です。
    今回はその映像がもう一度流れます。

    気になる疑問Q&A

    Q. 賀川さんはいまもご存命?

    いいえ、2026年8月27日に115歳で亡くなっています。

    Q. どこの人?

    奈良県大和郡山市です。
    生まれも育ちも、医院を開いたのも大和郡山でした。

    Q. 今回がはじめての放送?

    いいえ、2025年10月19日に一度放送されています。

    Q. いまの日本の最高齢はだれ?

    京都市の岸本ふよさん(明治44年12月20日生まれ)です。

    放送で見ておきたいところ

    番組紹介によると、取材班は激動の時代を生きた人ならではの言葉を期待したものの、返ってきたのは静かで胸に残る言葉だったそうです。
    その一言を、ぜひ放送で確かめてください。

    おわりに

    賀川滋子さんは、明治44年に生まれ、大和郡山で女医として生きた方でした。
    2026年8月27日、115歳で亡くなっています。

    「最後の明治人」はNHK総合で9月28日(月)午前0時9月30日(水)午前11時30分から放送です。

    参考にした情報

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