【結論】小野伸二は1999年の大怪我で足の感覚とともにサッカーのイメージを失ったと語り、その感覚は「戻ったことは一度もない」と話しています。
@user3312609376126 小野伸二凄すぎ
♬ オリジナル楽曲 – 俺はサッカーが好きなんだよコラ – 俺はサッカーが好きなんだよコラ
- 怪我をしたのは19歳、1999年7月の五輪予選フィリピン戦
- 怪我の前は敵の動きまで頭に浮かんでいたと本人が証言
- 復帰後は「何もイメージが浮かばなくなった」
- 立て直す契機の一つとしてJ2でのキャプテン経験を本人が挙げている
- 小野伸二が怪我で失ったと語るもの
- 怪我の前と後の違い(早見表)
- どうやって気持ちを立て直したのか
- 「怪我がなければ」に本人がどう答えているか
引退したあとも、
練習場でボールを自在に扱う姿が話題になる小野伸二。
そのたびに語られるのが、
「あの怪我さえなければ」という言葉です。
では、本人はあの怪我で何を失ったと感じているのでしょうか。
インタビューでの言葉をもとに見ていきます。
【考察】小野伸二が怪我で失ったものは何か
ここからは編集部の予想です。
先に答えを書くと、
最後まで戻らなかったのは「先を見るイメージ」だと読みます。
本人は「すべてを失った」と語り、足の感覚や技術への影響も否定はできません。
ただ、その後の言葉で「戻らなかった」とされているのはイメージのほうです。
理由を3つに分けて説明します。
理由1:本人が繰り返し語るのは「見え方」の変化
小野は怪我の前について、
敵が後ろから来る場面が頭の中の映像とピッタリだったと話しています。
練習のときも、頭の中にいつも敵が配置されていたといいます(リアルスポーツ)。
ところが復帰後は「何もイメージが浮かばなくなっていました」。
元日本代表の播戸竜二さんとの対談でも、
「見える景色が変わった。何も見えなくなった」と語りました(フットボールゾーン)。
言葉が「見る」側の変化に何度も向いている点が大事です。
理由2:復帰直後は「止めて蹴る」もできなかった
ただし、復帰してすぐは技術も落ちていました。
本人は復帰戦について、
「イメージも浮かばない、技術もかなり下手だし、止めて蹴るも含めて何もできていなかったです」と振り返っています(リアルスポーツ)。
さらに「何も見えないので、ボールをもらうのが怖かったです」とも明かしました。
見えないことが、プレー全体に影響していた様子がうかがえます。
理由3:技術は取り戻し、欧州でタイトルを取った
その後の小野は、2001年夏にオランダのフェイエノールトへ移籍し、
2002年5月のUEFAカップ優勝に貢献しています(フットボールゾーン)。
欧州の舞台で結果を残すところまでは、プレーを立て直したことになります。
一方で、怪我の前の見え方は「戻ったことは一度もない」と本人は言います。
つまり、結果は取り戻しても、イメージは戻らなかった。
これが本人の言葉から読み取れる答えです。
見落とされがちですが、今回確認したインタビューでは、
本人が「戻らなかった」と語っているのは感覚のほうです。
悔しさを語るときに繰り返す言葉は、「見えない」「浮かばない」です。
この一貫性が、
最後まで残った喪失を「イメージ」と読む根拠になります。
今のボールタッチが驚かれるのは、
立て直した技術がそれだけ高いからでしょう。
そして「怪我がなければ」と言われるのは、
失われた「先を見るイメージ」が加わった姿を想像してしまうからだと考えます。
怪我の前と後の早見表
本人の言葉をもとに、
怪我の前と後の違いを編集部で表に整理しました。
| 項目 | 怪我の前 | 怪我の後 |
|---|---|---|
| プレーのイメージ | 敵の位置まで浮かんでいた | 何も浮かばなくなった |
| ボールを受ける気持ち | — | 「ボールをもらうのが怖かったです」 |
| 感覚の回復 | — | 「戻ったことは一度もないですね」 |
| その後の実績 | ワールドユース準優勝 | UEFAカップ優勝、W杯2大会 |
表のとおり、実績は怪我のあとにも積み上がっています。
それでも本人の感覚としては、
大きな感覚の変化があったことがうかがえます。
1999年7月、19歳の大怪我
怪我をしたのは1999年7月です。
シドニー五輪アジア1次予選のフィリピン戦で、
相手の後ろからのタックルを受け、左膝の靭帯を断裂しました(webスポルティーバ)。
この年の4月には、ワールドユースで準優勝を果たしたばかりでした。
本人は「10何対0の状況で、交代って頭にあったから油断がトラップに出ちゃったよね」と話しています(フットボールゾーン)。
1979年生まれの小野は、このとき19歳。
翌年のシドニー五輪は、怪我の影響で選外になりました(フットボールゾーン)。
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本人が挙げる立て直しの契機
怪我をした1999年、所属していた浦和レッズはJ2に降格しました。
翌2000年、小野はキャプテンを任され、
1年でJ1に戻さなければならない重圧の中で戦います(webスポルティーバ)。
本人はこの経験で、
「過去の自分にいつまでもこだわっても仕方がない」「また新しい自分を作るしかない」と切り替えられたと話しています。
そして「そう意識が変わったから、オランダにも移籍できた」と続けました。
怪我の前に戻ることをやめたことを、本人は転機として語っています。
別のインタビューでも、
「ケガをする前に戻りたい気持ちが強すぎて、前に進んでいなかった」と当時を分析しています(リアルスポーツ)。
体の回復だけでなく、考え方の切り替えが必要だったことがうかがえます。
「怪我がなければ」に本人はどう答えているか
ファンがよく口にする「怪我がなければ」。
本人はこの言葉を否定していません。
「怪我がなければってみんなが言ってくれるけど、もちろんそれは自分もそう思う」と認めています(フットボールゾーン)。
そのうえで、「結局はこういうのって必然的なものだから」と付け加えました。
悔しさを認めつつ、
起きたことを受け入れる姿勢が伝わる言葉です。
欧州のビッグクラブについても「やってみたかった」と話していますが(フットボールゾーン)、
具体的な移籍の話があったとは語っていません。
小野伸二の怪我についてのQ&A
Q1. どんな怪我でしたか?
左膝の靭帯断裂です。
1999年7月の五輪予選フィリピン戦で、
後ろからのタックルを受けて負いました。
Q2. 怪我をしたのは何歳のときですか?
19歳のときです。
1979年生まれで、
「20歳になる直前」と紹介されることもあります。
Q3. 怪我の前の感覚は戻りましたか?
本人は「戻ったことは一度もないですね」と話しています。
怪我の前に浮かんでいたプレーのイメージは、
その後も戻らなかったといいます。
Q4. 怪我のあとにW杯に出ましたか?
出ています。
2002年と2006年のW杯に出場しました。
1998年大会と合わせて、W杯は3大会です(フランス通信社)。
Q5. 現役はいつまで続けましたか?
2023年シーズンまでです。
2023年9月27日に、北海道コンサドーレ札幌から
現役引退が発表されました(スポーツナビ)。
Q6. この記事の考察は事実ですか?
【考察】は編集部の予想です。
本人の発言は報道で確認したものですが、
「何を失ったか」の読み方は断定できません。
今後の見通し
引退後の小野は、映像や対談で技術を見せる機会が多くあります。
今回のように映像が広まるたびに、
怪我の話題も一緒に掘り起こされるでしょう。
本人の言葉をたどると、
「失ったもの」と「残ったもの」を分けて見ることで、
小野伸二のすごさがより分かりやすくなります。
まとめ
小野伸二は1999年7月、19歳で左膝の靭帯を断裂しました。
本人は足の感覚とともにサッカーのイメージを失ったと語り、
そのイメージは戻らなかったと話しています。
一方でプレーを立て直し、
欧州でのタイトルやW杯出場を重ねました。
結果は取り戻しても、イメージは戻らなかった。
その差が、今も「怪我がなければ」と語られる理由だと編集部は見ています。

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