川上ミネのキューバ時代がすごい!国立音楽学校の客員講師になるまでの道のり

    【結論】川上ミネさんはキューバ国立音楽学校の客員講師を務めた経歴を持っています。

    本記事はプロモーションを含みます。

    • ドイツを捨ててマドリードへ、直後に無一文に
    • きっかけはチューチョ・バルデスの演奏
    • ハバナの国立劇場でのリサイタルが大成功
    • そのまま国立音楽学校の客員講師
    • 現地で調律・修理・釣りまで教わった
    • のちに日本スペイン交流400年の公式ピアニストへ
    この記事で分かること
    • キューバへ渡ったきっかけ
    • 現地で教えたことと、教わったこと
    • 中南米で回った国と、その影響
    • 年表で見る移動の経緯
    • 8月27日の放送データ

    2026年8月27日、NHK総合の映像詩「やまとの季節七十二候」
    ピアノを弾く川上ミネさんの経歴を追っていくと、
    キューバという地名が出てきます
    クラシックの演奏家がなぜそこへ行ったのか、
    順にたどります。

    目次

    【予想】なぜクラシックの演奏家がキューバまで行ったのか

    ここからは編集部の予想です。
    言い切ると、
    すでに一度すべてを手放していたから、身軽に動けたと見ています。

    理由1:ドイツでの持ち物を処分していたから。
    公式サイトによれば、
    クラシック音楽家としてドイツで活動していた川上さんは、
    ある日ピアノと楽譜以外を全部処分してマドリードへ行ったと記しています(川上ミネ 公式サイト)。
    置いてくるものが無かったのです。

    理由2:マドリードで残りも失っているから。
    到着後、宿を探している最中に泥棒に襲われ全財産を持って行かれたと書かれています。
    本人はそれを「あまりにもさっぱりした」と表現しました。
    失う側の心配が消えた状態です。

    理由3:演奏に「死ぬほど感動」したから。
    キューバ人のグラミー賞ジャズピアニストチューチョ・バルデスの演奏に偶然出会い、
    その音楽と人間性に死ぬほど感動してキューバ行きを決めた、と公式サイトにあります。
    理屈より先に体が動いた形です。

    理由4:卒業を急いでいるから。
    一刻も早く渡るために勉学に励んでさっさと卒業し、
    マドリードの大学を出てすぐキューバへ引っ越しています。
    学位が目的ではなく通過点だったことが分かります。

    理由5:現地で成果が出たから。
    ハバナの国立劇場でのピアノリサイタルが思いのほか大成功し、
    そのままキューバ国立音楽学校に客員講師として招かれました。
    滞在の理由が自分で作れたということです。

    理由6:学べるものが多かったから。
    ピアノと音楽史を教えながら、
    ラテンジャズトゥンバオ(キューバのピアノ奏法)、作曲を学んだと記されています。
    教える側が学ぶ側でもあった期間です。

    理由7:そこで止まらなかったから。
    その後は中南米を放浪し、
    コロンビア、ボリビア、アルゼンチン、メキシコ、ブラジル、ペルーなどを回りました。
    公式サイトはこの流れを
    「だんだんクラシック音楽から無国籍・無ジャンル音楽へと道が外れる」と書いています。

    理由8:最後に拠点を選び直しているから。
    2000年に帰国したものの放浪を再開し、
    このままでは根無し草になると感じて最も住みたい場所を2か所選んだと記されています。
    それがスペインと京都
    移動の果てに定住を選んだ形です。

    ここまではあくまで編集部の予想です。
    本人が理由を整理して述べたものではありません。

    キューバで教わったことの一覧

    公式サイトには、
    当時の生活環境の中で教え子や同僚、近所の人から教わったことが具体的に並んでいます。

    分類内容
    楽器ピアノの調律、修理
    楽譜製本
    演奏停電中や鍵盤が抜けたピアノでも弾く術
    生活釣り、食物採集
    音楽ラテンジャズ、トゥンバオ、作曲

    音楽家の経歴に釣り食物採集が並ぶのは珍しいことです。
    楽器も生活も万全ではない前提で暮らしていたことが分かります。

    ▼ スペインやキューバの旅の本はこちらから

    ※巡礼路や現地の暮らしを知りたい方はリンク先でご確認ください。

    年表で見る移動の経緯

    時期できごと
    高校卒業後ミュンヘン国立音楽大学ピアノ科へ
    その後持ち物を処分してマドリードへ、直後に全財産を失う
    2か月後マドリードの音楽大学ピアノ科に入学
    卒業後キューバへ移住、国立音楽学校の客員講師に
    その後中南米・アジア各地を放浪
    2000年帰国、まもなく放浪を再開
    現在スペインと京都の2拠点

    2003年からは南米ツアーを開始。
    2004年にはハバナのアマデオロルダン劇場でチューチョ・バルデスと2台のピアノで共演し、
    キューバ国営放送が特別番組を制作したと記されています。

    スペインでの大きな仕事

    2013年、日本スペイン交流400年事業の公式ピアニストとしてテーマ曲を作曲。
    同年6月にはマドリード王立劇場で開かれた開幕記念音楽会で、
    メインソリスト兼芸術監督を務めました。

    2010年にはサンティアゴ巡礼道の30か所で奉納演奏ツアーを実施。
    フランス国境のピレネー山脈から移動式の野外ステージとともに、
    サンティアゴ・デ・コンポステラを目指すという企画でした。

    2015年には、
    これらのテーマ曲を集めた2枚組アルバム『侍1613』をリリースしています。

    よくある質問

    Q1. キューバでは何をしていたのですか?

    キューバ国立音楽学校の客員講師として、
    ピアノと音楽史を教えていました。
    同時にラテンジャズやトゥンバオ、作曲を学んでいます。

    Q2. チューチョ・バルデスとは誰ですか?

    公式サイトでは「キューバ人のグラミー賞ジャズピアニスト」と紹介されています。
    川上さんはその演奏に偶然出会ったことでキューバ行きを決め、
    2004年には2台のピアノで共演しました。

    Q3. なぜマドリードで無一文になったのですか?

    到着後、宿を探している最中に泥棒に襲われたと記されています。
    持っていた財産をすべて奪われましたが、
    本人は「かえってこの街が好きになった」と書いています。

    Q4. いま住んでいるのはどこですか?

    スペインと京都の2拠点です。
    スペイン側の都市名は資料で表記が分かれ、
    Wikipediaはサンティアゴ・デ・コンポステラ
    公式サイトの文中にはマドリードという記述もあります。

    Q5. 8月27日の番組と関係はありますか?

    直接の関係はありません。
    放送は奈良の風景を撮った映像詩で、
    川上さんは「百年ピアノ」でオリジナル曲を弾きます。
    各地を回ってきた音楽性がそこに乗っている、という見方はできます。

    Q6. 日本での代表作は何ですか?

    2005年の愛・地球博で、
    マスコット「モリゾーとキッコロ」のテーマソングと全ての音楽を担当したことが知られています。
    ほかにNHK「猫のしっぽ、カエルの手」やEテレ「やまと尼寺 精進日記」の音楽など。

    8月27日の放送データ

    番組映像詩「やまとの季節七十二候」
    日時2026年8月27日(木)午前3時8分〜4時0分
    チャンネルNHK総合1・東京
    ピアノ川上ミネ
    映像保山耕一

    本記事の経歴は公式サイトの年譜に基づいています。年譜は2016年ごろまでの記載が中心のため、現在の活動状況については触れていません。

    まとめ

    川上ミネさんはキューバ国立音楽学校の客員講師を務めた経歴を持つピアニストです。
    きっかけはチューチョ・バルデスの演奏との偶然の出会いでした。

    その前にはドイツで持ち物を処分し、
    マドリードで全財産を奪われています。
    現地では調律や修理、釣りまで教わりました。

    いまはスペインと京都の2拠点。
    そのピアノが聴けるのが2026年8月27日(木)午前3時8分のNHK総合、
    映像詩「やまとの季節七十二候」です。

    参照リンク

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