【結論】多江が向かった広島は、日清戦争のときに大本営が置かれた臨時首都で、陸軍予備病院は傷ついた兵が運び込まれる看護の最前線でした。
- 日清戦争が始まったのは1894年(明治27年)8月
- 大本営は当初東京にあったが、広島へ移された
- 明治天皇は1894年9月15日から広島城内の大本営で軍隊を指揮した
- 広島が選ばれた理由は宇品港と鉄道による軍事輸送のしやすさ
- 広島の陸軍予備病院には日本赤十字社の看護婦が入り、新島八重も従軍した
朝ドラ「風、薫る」第22週で、多江(生田絵梨花さん)が広島の病院で軍人の看護に苦戦しているという手紙が届きます。ここで「なぜ広島なのか」と引っかかった方は多いはずです。この地名には、当時の日本の事情がそのまま詰まっています。
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【考察】なぜ制作陣は「広島」を出したのか
私は、広島という地名は「看護婦が社会に認められる」という結末へ物語を運ぶために置かれたと読みます。単に戦場の悲惨さを描くための舞台ではありません。
理由の1つ目は、史実に到達点があることです。日清戦争に従軍した看護婦たちは、1896年(明治29年)に功績が認められて勲七等宝冠章を授与され、日本人の民間女性では初の勲章授章者になりました(国立公文書館)。訓練を受けた看護婦の仕事が、国から正式に評価された出来事です。「風、薫る」はトレインドナースを主題にした作品ですから、この地点を目指すのは自然な流れになります。
理由の2つ目は、広島に実在の先達がいることです。広島の陸軍予備病院には、会津戦争を戦った新島八重が篤志看護婦として従軍しました。責任者にあたる看護婦取締の高山みつも広島の病院に勤務し、後に日本赤十字社の看護婦養成の土台を築いています(国立公文書館)。劇中の捨松も会津の出身という設定で重なります。多部未華子さんは、捨松が戊辰戦争で籠城した壮絶な体験を経て、男性に頼らない生き方を模索した人物だと語っています(美術展ナビ)。会津から広島へという線が、史実と劇中で並んで走っています。
理由の3つ目は、多江という人物の使われ方です。多江を演じる生田絵梨花さんは、NHK「歴史探偵」で日本のナース誕生の裏側に迫る回に出演しています(映画ナタリー)。作品側が多江を「史実側の窓口」に置いていると読める配置です。その多江が最初に広島へ入り、苦戦の手紙を書く。読者に対して「ここが本番だ」と示す合図として機能します。
第22週では捨松も動き出すと予告されています(シネマトゥデイ)。手紙で現場の窮状が伝わり、影響力のある人物が動くという順番は、看護婦の派遣という制度の話へ物語を進めるための組み立てだと考えます。
ここまではあくまで編集部の予想であり、断定ではありません。公表されているのは第22週のあらすじまでです。
日清戦争のとき、広島に大本営が置かれた理由
大本営は、天皇のもとで戦争を指導する最高の機関です。1894年(明治27年)8月に日清戦争が始まった当初は東京に置かれていましたが、大陸への出兵基地となっていた広島へ移されました(広島平和記念資料館)。
明治天皇は1894年9月15日から、基町にある第5師団司令部を大本営として軍隊を指揮しました。政府の高官も多く広島へ移動したため、広島はまさに臨時の首都のような状態になっています(広島平和記念資料館)。
広島が選ばれた理由は、交通の条件です。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1889年(明治22年) | 大型船が使える宇品港が開港 |
| 1894年6月10日 | 山陽鉄道が広島まで開通 |
| 1894年8月20日 | 広島と宇品を結ぶ仮設軍用鉄道が開通 |
| 1894年9月15日 | 明治天皇とともに大本営が広島城内へ |
| 1894年10月 | 広島で臨時帝国議会が召集 |
この流れは広島城の公式サイトに記載があります(広島城)。港と鉄道がそろっていたことで、兵と物資を大陸へ送りやすかったわけです。
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広島の陸軍予備病院で働いた看護婦たち
兵が集まる場所には、傷ついた兵も戻ってきます。広島の陸軍予備病院は、その受け皿になりました。
ここで従軍した1人が新島八重です。会津戦争での戦いぶりで知られる人物ですが、1890年(明治23年)に日本赤十字社の正社員となり、日清戦争では広島の陸軍予備病院で篤志看護婦として従軍しました(国立公文書館)。
もう1人、高山みつという人物がいます。学習院や華族女学校の助教などを経て、1894年(明治27年)に日本赤十字社看護婦及同生徒監督となり、日清戦争や北清事変では従軍看護婦の責任者である看護婦取締として広島の病院で勤務しました。初代看護婦監督として、日本赤十字社の看護婦養成の土台を築いた人でもあります(国立公文書館)。
- 新島八重/日赤の正社員から篤志看護婦として陸軍予備病院へ
- 高山みつ/看護婦取締として広島の病院に勤務、養成の土台を築く
- 従軍した看護婦は1896年に勲七等宝冠章を授与された
この叙勲は、日本人の民間女性で初めての勲章授章にあたります(国立公文書館)。看護という仕事が、国の側から評価された最初の場面でした。
多江が「苦戦」した理由として考えられること
第22週のあらすじでは、多江が軍人の看護に苦戦していると書かれています(MANTANWEB)。具体的な内容は放送を待つ形ですが、当時の状況からいくつかの見当はつきます。
ひとつは、軍という組織の中で女性が働くことの難しさです。看護婦の仕事が社会に認められるのは、まさにこの戦争を経てからでした。1896年の叙勲が「初」であった事実が、それ以前の立場の弱さを表しています。
もうひとつは、患者の数と傷の重さです。広島は大陸への出兵基地であり、送り出す場所であると同時に戻ってくる場所でもありました。訓練を受けた看護婦の数は、当時まだ限られていました。
Q&A
Q1. 多江を演じているのは誰ですか?
生田絵梨花さんです。役名は玉田多江で、りんや直美と同じ梅岡看護婦養成所のメンバーとして描かれています(ORICON NEWS)。
Q2. 陸軍予備病院とはどんな病院ですか?
戦時に傷病兵を受け入れるために陸軍が置いた病院です。日清戦争では広島の陸軍予備病院に日本赤十字社の看護婦が入り、新島八重も篤志看護婦として従軍しました(国立公文書館)。
Q3. なぜ東京ではなく広島に大本営が移ったのですか?
大陸への出兵基地だったからです。宇品港が1889年に開港し、1894年6月に山陽鉄道が広島まで通り、同年8月には広島と宇品を結ぶ仮設軍用鉄道も開通しました。軍事輸送のしやすさが決め手でした(広島城)。
Q4. 劇中の広島の場面は史実どおりですか?
「風、薫る」は実在の人物をモチーフにしたオリジナル作品です。大関和さんと鈴木雅さんという実在のトレインドナースをモチーフにしていますが、登場人物や出来事はフィクションとして構成されています(シネマトゥデイ)。
Q5. この記事の考察は公式発表ですか?
いいえ。考察セクションは編集部の予想です。公開されているあらすじと当時の記録をもとに組み立てた見立てであり、公式に発表された今後の展開ではありません。
Q6. 広島大本営の跡は今も見られますか?
大本営跡は1926年(大正15年)10月に史跡指定されています。ただし建物は1945年8月6日の原子爆弾投下で失われました(広島城)。
今後の見通し
「風、薫る」は全26週・130回の作品で、第22週を終えると残りは4週ほどになります(シネマトゥデイ)。広島が出てきたタイミングは、物語の締めくくりに入る直前です。
史実の側では、日清戦争を経て看護婦の社会的な位置づけが変わりました。1896年の叙勲がその象徴です。看護婦という仕事が世の中に認められていく過程を、作品がどこまで描くのかが最後の見どころになりそうです。
第22週の放送は8月24日(月)から。NHK総合は月曜から土曜の午前8時、土曜は1週間の振り返りです。
まとめ
- 多江が向かった広島は、日清戦争時に大本営が置かれた臨時首都だった
- 選ばれた理由は宇品港と鉄道による軍事輸送のしやすさ
- 広島の陸軍予備病院には日赤の看護婦が入り、新島八重も従軍した
- 看護婦取締の高山みつも広島で勤務し、後の養成制度の土台を築いた
- 従軍した看護婦は1896年に日本人民間女性で初の勲章を授与された
地名ひとつで、物語の重さが変わります。広島=当時の日本の中心であり、看護の最前線。この前提を知ってから第22週を見ると、多江の手紙の受け取り方がまるで違ってきます。

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