大島(香川)はどんな島?ハンセン病療養所・大島青松園の歴史と今

    【結論】香川県の大島は国立ハンセン病療養所がある、面積61haの小さな島です。

    高松港から東へ約8km。
    四国本土までは最短でわずか1kmという近さにありながら、
    長いあいだ人の行き来が絶たれてきた島です。

    本記事はプロモーションを含みます。

    • 島にあるのは国立療養所 大島青松園
    • スタートは1907年の法律1909年の開設
    • 病床は200床→最大860床まで増えた
    • いまも残るのが納骨堂・風の舞・解剖台
    • 暮らしているのは29人(2024年8月1日時点)
    • 登場するのは8月30日(日)朝8時25分・NHK総合
    この記事で分かること
    • 大島という島の位置と広さ
    • 療養所ができた経緯
    • 島に残る場所とその意味
    • いまの入所者数と芸術祭

    NHK総合「Dearにっぽん」の2026年8月30日(日)朝8時25分の回、
    「“隔離の島・大島” 伝え遺す最期の日々」
    その舞台になるのが、この島です。
    放送前に、島そのものの姿を押さえておきます。

    目次

    【予想】療養所に納骨堂がある理由を読み解く

    ここからは編集部の予想です。
    療養所という名前がついていながら、
    敷地の中にお墓があります。
    普通の病院に納骨堂は建ちません。
    結論を先に言えば、
    「退院という出口が用意されていなかったから」だと予想します。

    ポイント1:立地が答えを語っている。
    四国本土までは最短約1km、高松港からは約8km。
    これだけ近い場所を、あえて船でしか渡れない島として使いました。
    物理的な距離ではなく、切り離すことが目的だったと読めます。

    ポイント2:病床が4倍以上に増えている。
    厚生労働省の沿革によると、開設時の200床が最大860床にまで拡大しました。
    治って帰る人が多い施設なら、ここまで増やす必要はありません。
    入る一方だったから器を広げ続けた、と考えるのが自然です。

    ポイント3:園内に町の機能がそろっている。
    公式資料は園内を「あたかも村落のよう」と表現します。
    公会堂、売店、理美容室、郵便局、公園、宗教施設まであります。
    一生をここで終える前提でなければ、こうは作りません。

    ポイント4:数字が「片道切符」を示す。
    1999年10月時点の統計では、入所者3,923名のうち、
    園内で亡くなった方が1,970名、退所した方は823名
    亡くなった人が退所者の2倍以上という比率です。

    ポイント5:遺骨の引き取り手がいなかった。
    Leprosy.jpの資料によれば、園内で亡くなった方の多くは遺族に引き取られませんでした
    遺骨を受け取ることは、家族が病歴を認めることでもありました。
    偏見が強い時代ほど、迎えは来ません。

    ポイント6:名前を捨てた人が多かった。
    故郷に迷惑をかけまいと偽名で暮らした入所者が少なくありませんでした。
    本名を明かさなければ、実家の墓には入れません。
    行き先は園内の納骨堂しか残らないことになります。

    ポイント7:死後の処置まで島の中で完結していた。
    島には1950年代まで使われた解剖台が残っています。
    かつて全国の療養所で亡くなった方の解剖が行われていました。
    入所から死後まで、外に出ない仕組みだったということです。

    ポイント8:それでも島を出たいという願いが形になった。
    納骨堂に納めきれない残骨のために、「風の舞」というモニュメントが作られました。
    願いは「せめて死後には風に乗って島を離れて、自由に解き放たれますように」
    この言葉が、納骨堂の意味を裏側から説明していると予想します。

    以上はあくまで編集部の予想・推測です。
    公式資料がこの8点で説明しているわけではありません。

    大島という島の基本情報

    島の名前大島(香川県高松市庵治町)
    面積61ha
    高松港から東へ約8km
    四国本土から最短約1km
    渡り方高松港・県営第一浮桟橋から官有船で約20〜25分
    島にある施設国立療養所 大島青松園(〒761-0198 高松市庵治町6034-1)
    見える島西に女木島(鬼ヶ島)、南に屋島・壇ノ浦、東に小豆島

    周囲は観光地ばかりです。
    桃太郎伝説の鬼ヶ島、源平合戦の屋島、『二十四の瞳』の小豆島
    その真ん中に人が入れない島がひとつあったことになります。

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    ※番組の公式書籍ではありません。島を訪ねる前の予習用としてどうぞ。

    療養所ができるまで

    始まりは1907年(明治40年)3月19日
    法律第11号「ライ予防ニ関スル件」が制定され、
    同年7月には内務省令と施行規則が出ました。
    全国を5区域に分け、それぞれに療養所を作るという内容です。

    大島が属したのは第4区
    岡山・広島・山口・島根・徳島・香川・愛媛・高知の8県連合でした。
    1907年9月26日に設立を申請し、翌1908年1月27日に認可。
    1909年(明治42年)4月1日「第4区療養所」として発足します。

    当初の管理者は香川県知事、患者定床200床、職員定数21名
    翌1910年に「大島療養所」と改称し、
    入所者の増加にともなって病床は最大860床まで増えていきました。

    できごと
    1907年3月法律第11号「ライ予防ニ関スル件」制定
    1909年4月「第4区療養所」として発足(200床・職員21名)
    1910年「大島療養所」に改称。以後、増床が続く
    1941年7月厚生省へ移管。「国立らい療養所大島青松園」に
    1946年11月「国立療養所大島青松園」に改称
    1947年4月入所者に患者慰安金の支給が始まる
    1949年スルフォン剤の治療が予算化。軽快退所が始まる
    1952年4月付属准看護学院を併設
    1953年8月「らい予防法」公布
    1961年不自由者の介護要員が患者から職員に切り替わる
    1973年園内の患者作業が職員による作業に返還される
    1996年4月「らい予防法」廃止。「患者」から「入所者」へ

    注目したいのは1961年1973年の2行です。
    それまで入所者自身が介護や園内作業を担っていたということになります。
    療養する側が働き手でもあった、という時代が長く続いていました。

    島に残っているもの

    納骨堂

    日本のハンセン病療養所にはすべて納骨堂があります
    大島青松園では開園以来2000人を超える入所者が園内で亡くなり、
    多くが遺族に引き取られないまま葬られました。

    風の舞

    納骨堂に納めた残りの遺骨を納めるモニュメントです。
    完成は1992年(平成4年)
    入所者自治会・職員・多くのボランティアが石を積み上げました。
    設計は庵治町在住の彫刻家橋本清孝さんです。

    解剖台

    1950年代まで実際に使われていました。
    古い施設の解体時に業者が海へ捨ててしまったものが、
    2010年(平成22年)に浜で見つかっています。
    運び出す際に二つに割れたまま、第1回瀬戸内国際芸術祭で展示されました。

    ミニ八十八カ所と墓標の松

    園内には四国八十八カ所を模した88体の石仏があります。
    大正時代の終わりごろ、四国各地の寺院から寄贈されたものです。
    島から出られない人が、島にいながら巡礼できるように作られました。

    もうひとつ、玄関口には「墓標の松」があります。
    屋島の戦いに敗れた平氏が武将の亡骸をこの島に葬った際、
    墓標として植えた松だと伝えられている木です。

    いまの大島青松園

    昭和30年代の入所者約700人
    2024年8月1日時点29人/平均年齢86.7歳
    1日の診療件数延べ500件超
    居室プライバシーに配慮した個室(単身用・夫婦用)
    介助が必要な方不自由者センターで看護・介護を受ける
    自治会の機関誌『青松』『灯台』
    クラブ活動カメラ・川柳・俳句・短歌・詩歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸

    入所者は全員、ハンセン病そのものの治療を終えています
    残っているのは末梢神経障害などの後遺症と、高齢化にともなう病気です。
    約700人が29人になった――
    これが番組タイトルの「最期の日々」という言葉の中身です。

    いっぽう、大島は2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭の会場でもあります。
    青松園の施設を使ったアート展示があり、
    旧跡をめぐりながらハンセン病の歴史を学ぶガイドツアーも行われています。
    会期中には海外からも見学者が訪れるようになりました。

    8月30日の放送

    番組Dearにっぽん
    回タイトル“隔離の島・大島” 伝え遺す最期の日々
    放送日時2026年8月30日(日)午前8時25分〜8時50分
    放送局NHK総合
    登場する人野村宏さん(入所者自治会副会長)

    島を「第二のふるさと」と呼び、74年間暮らし続ける野村宏さんの思いが描かれます。

    よくある質問

    大島には観光で行けますか?

    瀬戸内国際芸術祭の会場のひとつなので、会期中は多くの見学者が渡っています。
    園内をめぐるガイドツアーもあります。
    ただし時期によって扱いが変わるため、必ず公式の案内をご確認ください。

    船はどこから出ますか?

    高松港の県営第一浮桟橋から官有船約20〜25分です。
    JR予讃線の高松駅が最寄りになります。

    「青松園」という名前の由来は?

    公式資料は島の様子を「白砂青松につつまれ」と表現しています。
    1941年に厚生省へ移管された際、
    「国立らい療養所大島青松園」という名称になりました。

    入所者は何人ですか?

    29人(2024年8月1日時点)、平均年齢86.7歳です。
    昭和30年代には約700人が暮らしていました。

    ハンセン病は治りますか?

    治ります。
    厚生労働省の説明では、病状に応じて1回・6か月・12か月・24か月の薬剤投与を行うことで治癒します。
    また治療開始後数日で感染性は失われます

    まとめ

    • 大島は香川県高松市庵治町沖の面積61haの島
    • 島にあるのは1909年開設の国立療養所 大島青松園
    • 中国四国8県連合の「第4区療養所」が前身
    • 納骨堂・風の舞・解剖台・ミニ八十八カ所・墓標の松が残る
    • 入所者は29人(2024年8月1日時点・平均86.7歳)
    • 放送は8月30日(日)朝8時25分/NHK総合

    参照リンク

    • 厚生労働省「国立療養所大島青松園」沿革(1907年の法律・開設・病床数・改称・介護と作業の返還)
    • 厚生労働省「国立療養所大島青松園」概況(面積・位置・診療体制・園内の生活・クラブ活動)
    • Leprosy.jp「国立療養所 大島青松園」(納骨堂・風の舞・解剖台・ミニ八十八カ所・墓標の松・アクセス・芸術祭)
    • KSB瀬戸内海放送(入所者29人・平均年齢86.7歳)
    • 番組表.Gガイド「Dearにっぽん」2026年8月30日(NHK総合・番組情報)
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