【ひとことで】貫啓二さんは串カツ田中を一から作った人。会社員を10年ほど続けてから飲食の世界に飛び込んだ創業社長です。
テレビ東京「ガイアの夜明け」の予告に、社長のこんな言葉がありました。
「成功している今だからこそ変わる必要がある」。
この言葉を口にしたのが貫啓二(ぬき・けいじ)さんです。
オンエアは2026年9月25日(金)夜10時15分から、テレビ東京で約1時間です。
- 生まれは1971年1月27日
- 地元は大阪府島本町、府立島本高校を卒業
- 最初の勤め先はトヨタ輸送
- 27歳でバーを開いて独立
- 串カツ田中の1号店は東京・世田谷
- いまの肩書きは代表取締役会長兼社長
- 貫さんの基本データ
- 独立から1号店までの遠回り
- 会長から社長に戻ったいきさつ
- なぜ「脱・串カツ田中」なのか、編集部の予想
まず編集部の予想をお話しして、そのあとに経歴をまとめます。
【予想】看板を外す決断の裏には、串カツ以前の遠回りがある
ここからは編集部の予想です。
わたしたちは、好調な串カツ田中に頼らない道を選べたのは、うまくいかなかった店を2つ経験した創業者だからだと見ています。
根拠を7つに分けて説明します。
根拠1:最初のバーはお客さんが来なかった。
1998年、大阪・アメリカ村で始めたバーは、月30万円の家賃に対して平日の売上が1日1万5000円ほどだったそうです(文春オンライン)。
本人は「惨敗」と振り返っています。
根拠2:人気の出た店でもお金は残らなかった。
2004年に青山で開いた京料理の店は、雑誌をきっかけに予約が入るようになった一方で、出費が想像以上だったと語られています。
評判と経営は別ものだと体で覚えた経験です。
根拠3:いまは串カツ田中に偏っている。
2025年11月末時点で、グループ全357店のうち344店が串カツ田中でした(近代食堂プラス)。
1つの看板が崩れると全体が揺れる形です。
根拠4:売上が最高のタイミングで言い出している。
番組の紹介文では、売上は過去最高と書かれています。
困ってから変えるのではなく、余力があるうちに変えるという順番です。
根拠5:社長に戻ると同時に、代表を1人にした。
2025年12月の会社の発表には、代表取締役を2人から貫さん1人にし「機動的な経営判断」を目指すとあります(適時開示資料)。
方向転換のハンドルを1本にした格好です。
根拠6:イタリアンのチェーンを買った。
同じ2025年12月、「ピソラ」の株式をすべて取得しました。
串カツ以外の柱を、自前で育てるより先にお金で手に入れています。
根拠7:会社の名前まで変えた。
2026年3月1日から社名は「ユニシアホールディングス」です(串カツ田中公式サイト)。
一番有名な名前を社名から外す決断は、作った本人だからこそ通ったと考えられます。
ちなみに、貫さんは2022年にいったん会長へ退いています。後任の社長が辞めたことで戻ってきた形ですが、戻ってからわずか3か月足らずで社名変更まで進めました。「戻ってきた=守りに入った」ではないという点が、この人事のいちばん面白いところです。
というわけで、今回の方針転換は串カツ以前の遠回りから来ていると予想します。
本人がこう説明したわけではないので、あくまで編集部の見立てとしてお読みください。
貫啓二さんの基本データ
| 項目 | データ |
|---|---|
| 読み方 | ぬき けいじ |
| 誕生日 | 1971年1月27日(放送日時点で55歳) |
| 出身 | 大阪府三島郡島本町 |
| 高校 | 大阪府立島本高等学校 |
| 前職 | トヨタ輸送 |
| 会社 | ユニシアホールディングス(旧・串カツ田中ホールディングス) |
独立のときの手持ちは、貯金200万円と退職金100万円。
お兄さんに連帯保証人になってもらい、信用金庫で700万円を借りてスタートしたそうです。
番組を見ていると、きっと串カツが食べたくなるはず。
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独立から1号店までの遠回り
串カツ田中が生まれるまでに、10年ほどかかっています。
| 時期 | 貫さんの歩み |
|---|---|
| 1989年 | 高校卒業、トヨタ輸送へ |
| 1998年 | アメリカ村でバーを開業 |
| 2001年 | 堀江にデザイナーズレストラン |
| 2002年 | いまの会社の前身を設立 |
| 2004年 | 青山に京料理の店 |
| 2008年 | 串カツ田中 世田谷店オープン |
| 2011年 | フランチャイズを始める |
| 2015年 | 100店に到達 |
お店の名前の「田中」は、貫さんではなくバー時代に出会った田中洋江さんから来ていると文春オンラインは伝えています。
西成出身で、よく串カツを差し入れてくれたそうです。
グループにはどんなお店がある?
「脱・串カツ田中」と言っても、いまどれくらい串カツに偏っているのか。
飲食店向けの専門誌「近代食堂」が載せた2025年11月末の数字を表にしました。
| 業態 | 店舗数 |
|---|---|
| 串カツ田中 | 344店(うちFC169店) |
| TANAKA | 3店 |
| 天のめし | 3店 |
| 焼肉くるとん | 2店 |
| 富之上 | 1店 |
| 厚とん | 1店 |
| 合計 | 357店 |
串カツ田中以外の業態は、すべて足しても13店です。
この数字には、2025年12月に子会社になったピソラの店はまだ入っていません。
同じ資料によると、2025年11月期の年商は約210億円、従業員は約3400人。
番組で語られる「第二創業」は、この大きさの会社をどう組み替えるかという話になりそうです。
会長から社長に戻ったいきさつ
2022年6月、貫さんは社長を後任に任せて会長になりました。
ところが2025年12月、その後任社長が「一身上の都合」で辞任。
12月16日付で、貫さんが会長と社長を兼ねることになりました。
辞任の詳しい理由は発表されていないため、この記事では触れません。
気になる疑問Q&A
Q. 「貫」はなんと読む?
「ぬき」です。
フルネームで「ぬき・けいじ」さんです。
Q. 何歳?
放送日の9月25日時点で55歳です。
Q. 大阪のどこの人?
京都との境にある三島郡島本町の出身です。
Q. 学歴は?
公表されている略歴は高校卒業→トヨタ輸送入社です。
大学の記載はありません。
Q. お店の名前も変わるの?
変わったのは会社の名前です。
お店は今も「串カツ田中」のままです。
ガイアの夜明けの見どころ
予告によると、番組はリブランディングや値下げの舞台裏に密着します。
物価が上がる中で、なぜあえて値段を下げるのかが気になるところです。
とんかつや天ぷらの新しいお店、海外への進出にも触れるとのこと。
串カツの次に何を柱にするのか、社長の口から聞けそうです。
もうひとつ注目したいのが、子会社になったイタリアンのピソラです。
串カツ田中とは客層も価格帯も違うお店を、グループの中でどう位置づけるのか。
社名を変えた理由とあわせて、番組で具体的な数字が出てくるか見ておきたいところです。
おわりに
貫啓二さんは大阪府島本町出身の55歳。
トヨタ輸送を経て1998年に独立し、2度のつまずきのあとで串カツ田中を育てました。
2025年12月に社長へ戻り、2026年3月には社名をユニシアに。
その「次の一手」は9月25日(金)夜10時15分からのガイアの夜明けで見られます。

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