【結論】2人の発言を並べると、父アル・バーノは「真実を受け入れた」、母ロミーナは「あの子はどこかにいる」と語っており、悲しみとの向き合い方が正反対なことが見えてきます。
@ghkey02 Al Bano dice stop a Romina Power Non la chiamo, la ferita su Ylenia riapre lo scontro
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- 長女イレニアは1994年の年明けに米国で行方不明
- 母ロミーナは今も「どこかにいる」と語る
- 父アル・バーノは「真実を受け入れた」と語る
- 2026年は番組と雑誌で応酬が続いている
- 2人の見方が食い違う理由の読み方
- 論点ごとの言い分早見表
- 結婚から2026年までの年表
- 今も一緒に歌っているのか
イタリアで「フェリチタ」を大ヒットさせた
元夫婦デュオ、アル・バーノとロミーナ・パワー。
2人の間には、30年以上たっても
話がかみ合わないテーマがあります。
それが、長女イレニアの失踪です。
2026年9月にもアル・バーノが週刊誌で反論し、
イタリアで再び話題になりました。
2人それぞれの言葉を並べて、
どこが食い違っているのかを見ていきます。
【考察】なぜ2人の見方は30年以上たっても交わらないのか
ここからは編集部の予想です。
結論から言うと、
2人は「区切りをつけた父」と「待ち続ける母」で、そもそも立っている場所が違うからです。
立つ場所が違えば、
「支え」という言葉の意味も別のものになります。
理由は3つあります。
理由1:本人たちの言葉が正反対を向いている
ロミーナは2026年4月の番組で、
イレニアについて次のように語りました(ディレイ)。
Parlo sempre di Ylenia perché so che lei è da qualche parte
意味は「私はいつもイレニアの話をする。あの子がどこかにいると分かっているから」です。
一方のアル・バーノは5月の番組で、
こう答えています(アドンクロノス)。
Io ho solo accettato la verità.
意味は「僕はただ真実を受け入れただけだ」です。
同じ娘について、
一人は今も探す側に、
もう一人は受け止めて心にしまう側にいます。
理由2:法律上の手続きでも考えが分かれた
アル・バーノの申し立てを受けて、
2014年、南イタリアのブリンディジの裁判所が
法律上の「死亡推定」を宣告しました(トゥデイ)。
これは長く消息が分からない人について
法的な扱いを決める手続きで、
イレニアの遺体は見つかっていません。
この申し立てにロミーナは
深く心を痛めたと報じられています(ウィキペディア伊語版)。
区切りをつけたい父と、
区切りを望まない母。
考えの違いは、10年以上前から形になっていたわけです。
理由3:「支え」の中身が2人で違う
アル・バーノが強調するのは、
警察と一緒に毎晩ニューオーリンズの街を探したことです。
そして約1か月で「もう何もない」と悟り、
2人で一緒に帰国したとも語っています。
ロミーナ側は、アル・バーノが約1か月の捜索の後に仕事に戻ったと受け止めていると報じられています(アドンクロノス)。
父にとっての支えは、
探し尽くし、現実を受け止めることだったのでしょう。
ところが、娘がどこかにいると信じる母にとっては、
探すのをやめることが支えの反対に映ったのかもしれません。
同じ現地で同じ1か月を過ごしても、
残った記憶が正反対になるのは、
このためだと考えます。
どちらかがうそをついているのではなく、
同じ出来事を違う場所から見ている。
だからこそ、30年たっても
話が平行線のままなのだと読みます。
どちらかが相手の見方に合わせれば、
自分の悲しみの支え方そのものを手放すことになる。
それが、歩み寄りをいっそう難しくしているのでしょう。
2人の言い分早見表
2026年に2人が語った内容を、
論点ごとに並べます。
| 論点 | ロミーナ・パワー | アル・バーノ |
|---|---|---|
| イレニアは今 | どこかにいると感じる | 真実を受け入れた、心の中で生きている |
| 失踪後の夫 | 寄りかかりたい時に支えがなかった | 毎晩警察と街を探した |
| ニューオーリンズの記憶 | 自分たちを街から去らせるため、いろいろなことを言われた | 自分は現地で捜索に回った、妻はそばにいなかった |
| 話した場所 | 4月の番組「ベルヴェ」 | 5月の番組、9月の週刊誌 |
ロミーナの「支えがなかった」という言葉は、
4月28日放送の「ベルヴェ」で出たものです。
同じ番組でロミーナは、ニューオーリンズから自分たちを去らせるために何でも言われたとも振り返っています(ブログ・ティーヴィー・イタリアーナ)。
アル・バーノは9月上旬の週刊誌「ジェンテ」で、
自分は現地にいて、
ロミーナはそばにいなかったと反論しました(トリノ・クロナカ)。
同じインタビューでは、
ロミーナに電話はしないとも語っています。
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1970年から2026年までの2人の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1970年 | 結婚。同じ年に長女イレニアが生まれる |
| 1982年 | 「フェリチタ」がサンレモ音楽祭で2位 |
| 1984年 | 「チ・サラ」でサンレモ音楽祭優勝 |
| 1994年 | 年明けにイレニアがニューオーリンズで行方不明 |
| 1999年 | 法的に別居(離婚確定は2012年) |
| 2013年 | モスクワで再び共演、再結成ツアーへ |
| 2014年 | イレニアに法律上の死亡推定 |
| 2015年・2020年 | サンレモ音楽祭に2人で出演 |
| 2025年6月 | ロシアでの「フェリチタ」歌唱をめぐり対立 |
| 2026年4〜9月 | 番組と週刊誌でイレニアをめぐる応酬 |
アル・バーノは1943年生まれの83歳、
ロミーナは1951年に米ロサンゼルスで生まれた74歳です(ウィキペディア伊語版)。
ロミーナの父は、ハリウッド俳優のタイロン・パワーです。
2人は2015年と2020年にもサンレモ音楽祭に2人で出演しています(ウィキペディア伊語版)。
イレニアは2人の最初の子で、
下にヤリ、クリステル、ロミーナ・ジュニアがいます。
家族との最後の電話は、現地時間で
1993年の大みそかだったとされます(ウィキペディア伊語版)。
2025年6月には、アル・バーノがロシアで「フェリチタ」を歌い、
ロミーナがSNSで「今はその場所でも時でもない」と距離を置きました(ティージーコム24)。
イレニアの件とは別に、
2人の間では公の場でのすれ違いがたびたび起きています。
よくある勘違い
一つ目は、「イレニアの死亡が確認された」という勘違いです。
2014年の宣告は法律上の手続きで、
遺体が見つかったわけではありません。
母ロミーナは今もどこかにいると感じると語っています。
二つ目は、アル・バーノが「もう一緒に歌わない」と宣言したという勘違いです。
6月にそう報じられましたが、
本人はその言葉は言っていないと否定し、
6月の時点で、今年は2公演を行うと話していました(シネマセリエティーヴィー)。
イレニアと2人をめぐるQ&A
Q1. イレニアはいつ、どこで行方不明になりましたか?
1994年の年明け、旅先の米ニューオーリンズです。
当時23歳でした。
Q2. 法律上はどう扱われていますか?
2014年、イタリアの裁判所が死亡推定を宣告しました。
申し立てたのは父アル・バーノです。
Q3. 2人の意見はどこが一番違いますか?
イレニアについて、母はどこかにいると感じ、
父は真実を受け入れたと語っている点です。
Q4. 2人は今も一緒に歌っていますか?
アル・バーノは6月、
今年は2人で2公演を行うと話していました。
8月にはオーストリアでの公演が予定されていました(レッジョ)。
実際に行われたかは確認できていません。
Q5. 子どもたちはどう受け止めていますか?
三女ロミーナ・ジュニアさんは両親の両方に失望したと話したと報じられています(シネマセリエティーヴィー)。
子どもたちの受け止めも一様ではありません。
Q6. この記事の考察は事実ですか?
【考察】は編集部の予想です。
発言や年表は報道と資料で確認したものですが、
食い違いの理由の読み方は編集部の見立てです。
これからの2人
アル・バーノは9月の週刊誌で、
ロミーナと今のパートナー、
ロレダーナ・レッチーゾさんが
握手する日を夢見ていると語りました(トゥデイ)。
イレニアをめぐる見方がそろうことは
簡単ではなさそうです。
それでも、ステージの上の2人の歌を待ち望むファンも多いでしょう。
結び
アル・バーノとロミーナ・パワーは、
長女イレニアの失踪から30年以上たった今も、
話がかみ合わないままです。
母は「どこかにいる」と語り、
父は「真実を受け入れた」と語ります。
どちらの言葉も、娘を思う親の言葉であることに変わりはありません。
2人の言い分を並べて読むと、
対立の奥にある悲しみの形の違いが見えてきます。

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