【結論】広田尚敬さんの父は弁護士で、鉄道の現場で働きながら司法試験に受かった人でした。
- 父の肩書きは東京弁護士会 副会長
- 学校は福島の尋常小学校まで
- そこから丁稚小僧として働き始めた
- 鉄道では構内手と列車ボーイを経験
- 広田さんは5人きょうだいの真ん中
- 進路を決めたのは長兄の条件だった
- 父・母・兄・妻・息子という家族の姿
- 父が鉄道の職場にいた時期のこと
- 14歳で借りたカメラの持ち主
- 長兄が出した1年という条件
- 8月23日の放送の見どころ
2026年8月23日のEテレ「日曜美術館」に、
鉄道写真家の広田尚敬さんが出ます。
90歳になった今も現役の人です。
ここではその家族に絞って、
本人が語ってきた内容をまとめました。
【予想】鉄道好きの出発点はどこにあったのか
ここからは編集部の予想です。
先に言うと、
広田さんの鉄道好きは本人が見つけたものではなく、家の中にすでにあったものだと見ています。
そう考える手がかりを7つ並べます。
手がかり1:父が鉄道の職場にいた。
弁護士になる前の父は、
尾久操車場の構内手として働いていました。
操車場は列車を組み替える場所です。
趣味で駅に通う人ではなく、
仕事として車両を動かす側にいた人でした。
手がかり2:列車に乗る仕事もしていた。
父は列車ボーイとして東北本線に乗務しています。
地上の作業と車内の仕事、
その両方を知っていたことになります。
結果として父は
東京〜青森間の駅名をすべて覚えていました。
手がかり3:その知識が毎朝の遊びになった。
幼い広田さんが明け方に父の布団へ入ると、
父は抱いてゆすりながら
「今どこどこを走ってるよ」と話したそうです。
広田さんはこれを「無上の楽しみ」と表現しました。
遊びの中身が実在の路線だった点が特殊です。
手がかり4:母も電車を使ってあやしていた。
家は東京・芝にあり、
すぐ近くを路面電車が走っていました。
赤ん坊のころ、
どんなにぐずっても母がおんぶして電車を見せに行くと泣きやんだといいます。
父だけでなく母の側にも鉄道が入っていたことになります。
手がかり5:旅行の記憶も鉄道に結びついている。
父は家族をよく旅行に連れて行きました。
行き先は熱海が多く、
夜店で電車の模型を買ってもらうのが恒例だったそうです。
3歳10か月のころ、
熱海へ向かう東海道線の車中で撮った写真も残っています。
手がかり6:最初のカメラも家にあった。
14歳での初撮影に使ったのは、
父の「ベビーパール」という小型カメラです。
自分で買った道具ではありません。
被写体の知識も、撮る機材も、どちらも家から出ていることになります。
手がかり7:進路を決めたのは兄だった。
高校3年で両親を亡くしたあと、
親代わりになったのは銀行勤務の長兄です。
写真学校志望は却下されましたが、
「会社に入って1年経ったら何をやってもいい」という条件が付きました。
広田さんは商社にちょうど1年いて辞めています。
家族が反対した結果、逆に期限が生まれたという見方ができます。
ここまでは予想であり、
本人がこの筋道を語ったわけではありません。
ただ並べてみると、
個々の事実がきれいにつながって見えます。
家族の顔ぶれ
| 続柄 | 分かっていること | 備考 |
|---|---|---|
| 父 | 弁護士(東京弁護士会副会長) | 尋常小学校卒/丁稚小僧/構内手・列車ボーイ |
| 母 | 職業などは非公表 | 赤ん坊の広田さんに電車を見せてあやした |
| 長兄 | 銀行に勤務 | 両親の死後、弟妹の面倒を見た |
| 妻 | 広田靚子さん(ハーブ研究家) | 著書の写真を広田さんが担当 |
| 次男 | 広田泉さん(鉄道写真家) | 2022年3月28日に死去 |
きょうだいは5人で、
広田さんはその真ん中にあたります。
長兄以外の職業は公表されていません。
妻と次男については、
どちらも作品を残す仕事に就いていた点が共通しています。
▼ 鉄道写真の本を探すならこちら
※父子の共著もあります。取扱いはリンク先でご確認ください。
父の経歴をもう少し詳しく
尋常小学校から丁稚小僧へ
父は福島の尋常小学校を出た直後、
丁稚小僧として働き始めました。
上級学校には進んでいません。
それでも働きながら勉強を続け、
司法試験に合格しています。
広田さんはこの父を「努力の人」と呼んでいます。
鉄道の仕事は勉強中の生活の糧だった
尾久操車場での構内手も、
東北本線での列車ボーイも、
司法試験に受かる前の仕事です。
暮らしのために就いた仕事が、
のちに息子へ渡す知識になりました。
この点は、
意図して残した教育ではなかったところが面白いところです。
兄の反対の理由は「親戚」だった
写真学校に行きたいと相談した広田さんに、
長兄は「とんでもない」と答えました。
理由を尋ねると
「俺が親戚から何を言われるか分からない」。
本人の適性ではなく、
親代わりとしての立場が理由でした。
その代わりに出されたのが、1年という期限です。
放送の基本情報
| 番組名 | 日曜美術館 |
| サブタイトル | 鉄道のくにを撮る 写真家 広田尚敬 |
| 初回放送 | 2026年8月23日(日)9:00〜9:45 |
| チャンネル | NHK Eテレ1・東京 |
| 再放送 | 2026年8月30日(日)20:00〜20:45 |
番組では14歳の頃から現在までの傑作が紹介されます。
その最初の一枚を撮ったカメラが
父から借りたベビーパールだったと知っておくと、
冒頭の見え方が変わるはずです。
よくある質問
父親はどんな仕事をしていましたか?
弁護士で、東京弁護士会の副会長を務めました。
弁護士になる前は丁稚小僧として働き、
その後は鉄道の職場にもいました。
父親の名前は分かりますか?
公開されている資料では確認できませんでした。
広田さんが語っているのは職業と経歴までです。
本記事では推測での記載を避けています。
尾久操車場の構内手とは何ですか?
操車場で車両の入れ替え作業に関わる仕事です。
父はこれに加えて、
東北本線に乗務する列車ボーイも経験しています。
どちらも司法試験合格前の仕事です。
母親についての情報はありますか?
職業などは公表されていません。
語られているのは、
赤ん坊の広田さんがぐずったときに
おんぶして電車を見せに行ったという話です。
父とともに、広田さんが高校3年のときに亡くなっています。
きょうだいは何人ですか?
5人きょうだいで、広田さんは真ん中です。
長兄は銀行に勤務していました。
他のきょうだいについては公表されていません。
妻はどんな人ですか?
ハーブ研究家の広田靚子(せいこ)さんです。
広田さんは妻の著書で写真を担当しており、
取材に同行する機会もあったことから
草花の写真でも作品を残しています。
息子も写真家だったのですか?
次男の広田泉さんが鉄道写真家でした。
父子で写真集を共著した実績もあります。
2022年3月28日に亡くなっています。
写真学校には行けなかったのですか?
行っていません。
長兄の反対で中央大学経済学部に進み、
卒業後は商社に就職しました。
1年で辞めて1960年にフリーの写真家になっています。
まとめ
広田尚敬さんの父は
東京弁護士会副会長を務めた弁護士。
福島の尋常小学校を出て丁稚小僧になり、
尾久操車場の構内手や東北本線の列車ボーイをしながら
司法試験に合格しました。
東京〜青森の駅名を暗唱でき、
幼い息子に毎朝それを語って聞かせています。
最初のカメラも父のものでした。
高校3年で両親を亡くしたあとは、
長兄の「1年勤めたら何をやってもいい」という条件を守って
会社員から写真家になっています。
この家族の話が放送でどこまで扱われるかは未定ですが、
14歳の一枚から始まる構成と予告されている以上、
入り口として知っておく価値はあるでしょう。
放送は8月23日(日)朝9時からです。

コメント