「日航機墜落事故」と聞いて、正確に何年前の出来事か、すぐに答えられる人は少ないかもしれません。2026年8月12日で、あの事故からちょうど41年です。
なぜ41年も経った今でも、遺族の方々は御巣鷹の尾根に登り続けるのでしょうか。この記事では、当日行われた慰霊登山や鎮魂の灯籠流しの様子、事故の概要、そして今も続く「風化させない」ための取り組みをわかりやすく整理しました。
この記事で分かること
- 1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故の概要
- 2026年で事故から41年、110人ほどが慰霊登山に参加したこと
- 御巣鷹の尾根の麓で行われた「鎮魂の灯籠流し」の意味
- 事故当時に入社していたJAL社員が今年度中にゼロになる背景
- 身元特定に力を尽くした法歯学者の取り組み
日航機墜落事故とは?あらためて振り返る
1985年8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便が群馬県上野村の山中に墜落し、520人が犠牲になりました。単独機の事故としては、今も世界最多の犠牲者数として記録されています。
520人が亡くなり、生存者はわずか4人という、航空史に残る大惨事でした。事故から41年が経った今も、遺族にとって8月12日は特別な一日です。
本記事の情報は報道時点のものです。追悼行事の詳細な最新情報は、各報道機関や関係団体の発表を確認してください。
41年目の8月12日、御巣鷹の尾根で何が行われたのか
読売新聞や47NEWSなどの報道によると、事故現場となった「御巣鷹の尾根」には、遺族など110人ほどが慰霊登山のために訪れました。標高1500メートルを超える急な山道を、高齢になった遺族も一歩一歩踏みしめて登っていきます。
ふもとでは「鎮魂の灯籠流し」も行われ、犠牲者への祈りが灯りとともに川面に流されました。派手な催しではありませんが、毎年欠かさず続けられてきた、静かで大切な慰霊の形です。
- 早朝、遺族らが上野村に集まり、登山口から御巣鷹の尾根を目指す
- 事故発生時刻に合わせて、慰霊碑「昇魂之碑」の前で黙とうを捧げる
- ふもとの会場で、灯籠に願いを込めて川へ流す「鎮魂の灯籠流し」を行う
ポイント
御巣鷹の尾根への登山は、遺族にとって単なる行事ではなく「事故を忘れない」という意思表示でもあります。決して楽ではない道のりを、毎年多くの遺族が選んで登り続けています。
事故を知る社員が「今年度中にゼロ」に
Yahoo!ニュースが伝えたdメニューニュースの記事によると、事故当時すでにJALに入社していた社員は、今年度中にいなくなる見通しだといいます。時の流れの速さを感じさせるニュースです。
だからこそ、体験を語り継ぐ仕組みづくりが、今まさに課題になっています。安全教育の研修施設や資料の保存など、記憶を「経験していない世代」へどう渡すかが問われています。
「事故を知らない社員ばかりになる時代がくるなんて、想像していなかった」——そんな声が現場からも聞こえてきそうですね。
身元特定を支えた法歯学者の「かつてない挑戦」
読売新聞は、事故当時「DNA鑑定が存在しない時代」に、歯の治療痕などから犠牲者の身元特定に尽力した法歯学者の取り組みを特集しています。DNA型鑑定が一般的でなかった1985年当時、身元確認は極めて困難を極めました。
当時確立されていなかった手法に挑み、一人でも多くの犠牲者を家族のもとへ帰そうとした専門家たちの努力が、41年経った今も語り継がれています。
まとめ:風化させないために、私たちができること
2026年8月12日、日航機墜落事故から41年が経ちました。御巣鷹の尾根では今年も慰霊登山と鎮魂の灯籠流しが行われ、遺族の祈りが静かに捧げられました。
- 520人が犠牲になった単独機事故として今も記録が残る
- 41年目も110人ほどの遺族が慰霊登山に参加
- 事故を知るJAL社員は今年度中にゼロになる見通し
- 身元特定に尽力した専門家の努力も語り継がれている
事故の記憶を風化させないためには、私たち一人ひとりが「知ろうとすること」も欠かせません。気になった方は、報道各社が伝える特集記事にも目を通してみてください。

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