具志堅用高– tag –
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25歳で引退した具志堅用高。故郷のリングでついた唯一の黒星とその後
【先に答え】引退を決めたのは網膜剥離寸前の診断があったからです。 ラストマッチは1981年3月8日。会場は沖縄県具志川市(いまのうるま市)の市立総合体育館でした。14度目の防衛戦にして、初めての地元凱旋です。 そして敗れました。プロ通算で唯一の黒... -
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プロ9戦目で世界王者。具志堅用高の1976年10月10日を振り返る【50年前の一戦】
【先に答え】世界王座を獲ったのは1976年10月10日、今年で50年です。 舞台は山梨県甲府市・山梨学院大学体育館。相手はWBA世界ライトフライ級王者のファン・ホセ・グスマン選手(ドミニカ共和国)でした。決着は7回KO。 いちばん驚くのは、これがプロ9試合... -
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具志堅用高が勝つと沖縄の人がアパートを借りられた。8月31日放送回の背景
【先に答え】本人の言葉は「120%、沖縄のために闘った」です。 2022年、沖縄の本土復帰から50年という節目の取材で出た言葉です。世界王者になったのは1976年。復帰の4年後にあたります。 当時の本土には「沖縄人お断り」と書かれた店や下宿がありました... -
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3年9か月で13回。具志堅用高が守り抜いた世界王座の中身を全試合で確認した
【先に答え】13回防衛は、今も日本人男子で最多の記録です。 始まりは1977年1月30日、終わりは1980年10月12日。期間にして約3年9か月です。割り算すると3〜4か月に1回、王座を懸けてリングに上がっていたことになります。 しかも6試合は連続でKO決着。世界... -
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具志堅用高はなぜ野球をあきらめた?石垣島育ちの少年が拳を握るまで【ハートネットTV】
【先に答え】野球をあきらめた理由は背が足りなかったから、です。 生まれは沖縄県石垣市、いわゆる石垣島。誕生日は1955年6月26日で、当時の沖縄はアメリカ統治下でした。本土復帰は1972年ですから、子ども時代のほとんどが復帰前です。 そしてこの人、も...
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