【結論】「傘がない」のきっかけは、1971年の夏、雹が降った後楽園球場のコンサート。サビは担当者の家で完成しました。
井上陽水さんの代表曲のひとつ「傘がない」。
その誕生のいきさつが、10月3日(土)深夜2時15分からの
tvk「名曲アイランド」で紹介されます。
話すのは、当時の担当者・川瀬泰雄さんです。
- 1971年7月17日、後楽園球場で雹
- 海外バンドの曲がヒントに
- サビは「F」のコードをきっかけに誕生
- レコードは1972年7月1日発売
- 後楽園球場の嵐の一日
- サビができたときの様子
- 番組でどう語られそうか
【予想】番組では「雹の日」の話が一番の見どころに
ここからは私の予想です。
今回の放送では、
後楽園球場で陽水さんと川瀬さんがいっしょに雹に打たれた日のエピソードが、いちばんの見どころになると思います。
そう予想する根拠を8つ紹介します。
根拠1。番組表でいちばん長く書かれているのがこの話だから。
番組の紹介文は、後楽園での出来事から「傘がない」のサビ誕生までをくわしく書いています(番組表.Gガイド)。
根拠2。陽水さんは「スタッフ」として会場に入っていたから。
川瀬さんのコラムでは、担当バンドのモップスが出演するため、
陽水さんの分もバックステージ・パスを用意したと書かれています(大人のMusic Calendar)。
まだ有名になる前だからこそのエピソードです。
根拠3。2人とも楽器にシートをかぶせる作業を手伝ったから。
急に降ってきた雹から楽器を守るため、スタッフ総出で動いたそうです。
「雨の中で困る」という曲のテーマと重なります。
根拠4。観客の記憶にも残る大荒れの日だったから。
当日を客席で見た人も、雷が落ちて看板が吹き飛ぶほどの天気だったと振り返っています(大人のMusic Calendar)。
根拠5。待ち時間にスターと同じ場所にいたから。
ダッグアウトで嵐がやむのを待つ間、グランド・ファンクのマーク・ファーナーもいっしょだったそうです。
こうした小さな話は、トーク番組で盛り上がりやすいと思います。
根拠6。「ハートブレイカー」がヒントになったから。
コンサートで印象に残ったこの曲のリズムとコードの流れが、陽水さんの原型にぴったり合ったといいます。
番組でも実際に曲を聴かせながら説明しそうです。
根拠7。「盗作ではない」ことも語られそうだから。
川瀬さんは、メロディは違い、同じコードの流れは多くの曲で使われていると説明しています。
誤解されやすい点なので、番組でもふれると思います。
根拠8。サビ誕生の場面が、川瀬さん自身の思い出だから。
「F」を押さえて提案すると、陽水さんがその場でメロディを作り始めたそうです。
ご本人の口から聞けるのは貴重です。
このことから、今回は「雹の日」から「サビ誕生」までの流れが中心になると予想します。
実際の放送内容はお楽しみに。あくまで予想です。
「傘がない」の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発売日 | 1972年7月1日 |
| 作った人 | 作詞・作曲 井上陽水/編曲 星勝 |
| アルバム | 『断絶』 |
| きっかけの日 | 1971年7月17日(後楽園球場) |
売れなかった時代からの再スタート
陽水さんは最初「アンドレ・カンドレ」の名前でデビューしましたが、なかなか売れませんでした。
ポリドール・レコードの多賀英典さんに詞の弱さを指摘され、名前も本名に戻して再出発。
その直後に生まれたのが「傘がない」です。
当時のアルバムを聴いてみたい人は、陽水さんのCDをチェックしてみてください。
▼ 井上陽水さんのCDはこちら
※収録曲は販売ページで確認してください。
気になるQ&A
Q1. 川瀬泰雄さんって誰?
ホリプロで陽水さんやモップス、のちに山口百恵さんを担当した音楽プロデューサーです。
Q2. 曲はどこで作られた?
陽水さんがよく遊びに来ていた川瀬さんの家で、原型を歌い出したそうです。
Q3. 放送はいつ?
tvkで10月3日(土)深夜2時15分〜2時30分です。
おわりに
「傘がない」は、雹の後楽園球場と、担当者の家でのギターのやりとりから生まれた曲でした。
名曲の裏側を知ってから聴くと、また違って聞こえるかもしれません。

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