【結論】麻生要一郎さんが子どもの頃に食べられたのはたった4つでした。いまの仕事からは想像しにくい出発点です。
- 生まれは茨城県水戸市。建設会社を営む家の長男
- 食べられたのは鶏肉・卵・きゅうり・じゃがいもの4つ
- 家が求めたのは「ガキ大将みたいな子」だった
- 本人は草花を摘み、クマのぬいぐるみと過ごす子だった
- 小学3年で作ったチャーハンに、苦手なピーマンを入れた
NHK「ネコメンタリー」に登場する麻生要一郎さん。
紹介文には「流れ流され、移ろい続けた料理家の半生」とあります。
その出発点にあたる子ども時代が、かなり意外です。
料理家になる人には見えない話が並びます。
本人の発言をもとにまとめました。
- 家に望まれていた姿と、実際の姿
- 食べられた4つの食材
- 台所に立つようになった経緯
- 父親との関係と、19歳の別れ
【予想】望まれた姿とのズレを、どう抱えていたのか
ここからは編集部の予想です。
麻生さんは建設会社の跡取りとして生まれました。
家が思い描く姿と、実際の本人はまるで違いました。
普通なら苦しくなる状況です。
それでも麻生さんは、自分を変えようとしませんでした。
この構えがどこから来たのかを考えます。
予想としては、
台所という「誰とも競わない持ち場」を早くに見つけていたからだと見ています。
家の期待の外側に、自分で決められる場所があった、という見立てです。
材料を8つ挙げます。
材料1:求められた像がはっきりしていた
家が望んだのは「声が大きくてガキ大将みたいな子」でした(クックパッドニュース)。
祖父が興した建設会社の長男という立場ですから、当然といえば当然です。
期待が具体的なぶん、外れていることも分かりやすかったはずです。
材料2:実際の姿が正反対だった
麻生さんは近所で草花を摘んで歩く子どもでした。
そして友達はクマのぬいぐるみだけ。
ガキ大将とは、ほぼ真逆の像です。
この差は、周囲にも本人にも見えていたと考えられます。
材料3:本人が早くから自覚していた
麻生さんは、そのズレに幼いころから気づいていたと語っています。
気づかないまま過ごしたのではありません。
分かったうえで、その位置に留まっていたことになります。
材料4:それでも「変えない」を選んだ
本人の言葉が印象的です。
「気づいていても変えられないというか、変えないっていうところはありましたね」。
「変えられない」と言いかけて「変えない」と言い直しています。
受け身ではなく選択だったと読める部分です。
材料5:食の好みも同じ形をしていた
食べられたのは鶏肉・卵・きゅうり・じゃがいもだけ。
本人は「あとは別にいらない」と表現しています。
好き嫌いというより「食べない」に近い状態でした。
周りに合わせない態度が、食卓にも出ていたことになります。
材料6:台所は誰とも競わない場所だった
ここが中心だと見ています。
跡取りとしての評価は、家や周囲が決めます。
ところが台所では、自分で決めて、自分で確かめられます。
祖母は買い物から一緒に出かけ、調理を見せ、手伝わせてから食べさせました。
評価される場ではなく参加する場だったことが大きかったはずです。
材料7:小3で自分なりの解決法を見つけた
初めて料理をしたのは小学3年生のときです。
母の帰りが遅い夜、祖母のチャーハンを見よう見まねで作りました。
そこで苦手なピーマンをあえて入れ、極端に細かく刻んだのです。
「これぐらい細かく刻めば大丈夫だろう」という判断でした。
苦手なものを避けるのではなく形を変えて取り込むやり方を、自力で見つけています。
材料8:好きだと公言できなかった(ここは推測)
ここからは推測です。
麻生さんは、家に「男子かくあるべし」という空気があり、料理が好きとは言えないと感じていたと語っています(ウェルビーイング100 by オレンジページ)。
公言できなかったからこそ、誰の評価も入らない場所として残ったのではないか。
そう見ていますが、本人がそう述べた記述はありません。
以上はあくまで編集部の予想です。
偏食がいつ落ち着いたのかを含め、公表されていない部分が多く残ります。
望まれた姿と、実際の姿
語られている内容を、対比の形で並べてみます。
いずれも麻生さん本人の発言にもとづきます。
| 観点 | 家が望んだ姿 | 実際の麻生さん |
|---|---|---|
| 性格 | 声が大きい | 草花を摘んで歩く |
| 友達 | ガキ大将として周りを率いる | 友達はクマのぬいぐるみだけ |
| 立場 | 建設会社を継ぐ長男 | 30歳を前に退社 |
| 食事 | 何でも食べる | 食べられるのは4つだけ |
| 料理 | 「男子かくあるべし」で対象外 | 小3から台所に立つ |
この落差そのものが、2026年1月に出た初の自伝の主題にもなっています。
放送で人物に興味を持った方は、本のほうが詳しく追えます。
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食べられた4つの食材
麻生さんが挙げているのは、次の4つです。
それぞれが後の仕事とどうつながるかも添えます。
| 食材 | 本人の言い方 |
|---|---|
| 鶏肉 | 「鶏肉は食べる」 |
| 卵 | 「卵は食べる」 |
| きゅうり | 「きゅうりとジャガイモは好き」 |
| じゃがいも | 同上 |
興味深いのは卵です。
のちに麻生さんのお弁当で定番になり、連載では卵焼きのレシピが公開されています。
子どもの頃に食べられた数少ない食材が、仕事の中心に残った形です。
父親と、19歳の別れ
麻生さんは父親について「男子かくあるべし」みたいなところがあったと語っています。
そのため、料理が好きだとは言えなかったそうです。
大学受験に失敗して浪人していたころ、その父から海外に行ってみてはどうかと勧められます。
アメリカ行きの準備を進めていた矢先、父が急逝しました。
麻生さんは19歳でした。
その後、母が副社長として会社に出るようになります。
跡取りとして建設会社に入った麻生さんが退社を決めるのは、30歳を前にした頃のことです。
間違えられやすいところ
| よくある思い込み | 実際に確認できること |
|---|---|
| 子どもの頃から食べるのが好きだった | 本人は「食べない」に近かったと語っている |
| 料理一家に育った | 家業は建設会社。父は料理を良しとしない考えだった |
| 専門学校や店で修業した | 調理師学校・飲食店での修業歴は確認できない |
| 厳しく躾けて偏食を直した | 語られているのは買い物や調理に参加させるやり方 |
Q&A
Q1. 出身はどこですか?
茨城県水戸市です。
祖父が創業した建設会社の長男として生まれました。
のちに家業へ入り、30歳を前に退社しています。
Q2. 生まれた年は?
1977年です。
2026年1月刊行の自伝の副題が「1977-2025」となっており、これが根拠になります。
生年月日までは公表されていません。
Q3. 何歳で料理を始めましたか?
初めて自分で作ったのは小学3年生のときです。
祖母のチャーハンを真似た一品でした。
仕事にするのは、それからかなり後になります。
Q4. 偏食はいつ直りましたか?
時期は公表されていません。
祖母が調理から一緒にやることで食べられるようになった、という経緯が語られているだけです。
何歳で解消したという記述は見当たりません。
Q5. 父親はいつ亡くなりましたか?
麻生さんが19歳のときです。
浪人中で、父の勧めによりアメリカ行きの準備を進めていた時期でした。
その後、母が会社の副社長を務めることになります。
Q6. 番組で生い立ちは描かれますか?
2026年8月21日(金)のNHK Eテレ「ネコメンタリー」は「流れ流され、移ろい続けた料理家の半生」を描くと紹介されています。
半生をたどる内容ではありますが、子ども時代がどこまで出るかは放送を見るまで分かりません。
おわりに
麻生要一郎さんの子ども時代は、料理家という肩書きから想像する姿とはずいぶん違います。
食べられたのは4つだけ。
家が望んだ「ガキ大将」でもありませんでした。
台所が、誰とも競わずに済む持ち場になっていたのではないか、というのが編集部の予想です。
その象徴が、小学3年生のチャーハンに入った細かく刻んだピーマンでした。
2026年8月21日(金)22時30分から、NHK Eテレ「ネコメンタリー」で放送されます。

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