【結論】福島智さんは都立大から金沢大を経て東大へという歩みです。
- 盲学校の卒業は1982年3月
- 進学先は東京都立大学人文学部
- 修士修了は1989年3月
- 最初の常勤職は1996年7月の助手
- 東大の教授になったのは2008年10月
- 出演は8月24日(月)午後8時のEテレ
- 高校から大学院までの学歴
- 助手から教授までの職歴
- 提出した博士論文のテーマ
- 非常勤で関わってきた学校
NHK Eテレ「ハートネットTV」に、
2026年8月24日(月)午後8時から
福島智さんが出演します。
肩書きは東京大学の教授。
そこへ至るまでの流れを表にまとめました。
【予想】教授になるまで25年かかった背景を8つ
ここからは編集部の予想です。
1983年の入学から2008年の教授就任まで25年。
先に答えを書くと、
段ごとに前例を作る作業が挟まっていたと見ています。
背景1:博士課程を満期退学で終えている。
1992年3月に東京都立大学の博士課程を単位取得満期退学しています。
学位を取らずに課程を終えた形です。
研究職の応募では学位の有無が条件になる場面があります。
背景2:学位の取得が2008年だった。
博士(学術)を東京大学から得たのは2008年5月、しかも論文博士です。
課程を出てから16年後にあたります。
教授就任がその年の10月なので、時期としてつながっています。
背景3:非常勤の期間が長い。
1988年に母校の盲学校で非常勤講師となり、その後も複数の大学で非常勤を務めました。
常勤の職に就いたのは1996年7月です。
学部を卒業してから9年が経っていました。
背景4:職場が変わるたびに支援の交渉が必要になる。
全盲ろうの状態で研究を続けるには通訳介助者が欠かせません。
研究室の公式サイトによると、2001年に東大へ移る際は金沢大での実績をもとに話し合いを重ねたと説明されています。
異動のたびに制度そのものを作り直す作業が発生していたことになります。
背景5:呼称の変更をまたいでいる。
2001年に東大先端研の助教授、2007年4月に准教授になっています。
2007年は学校教育法の改正で助教授という呼び方が准教授へ切り替わった年でもありました。
肩書きが変わっても職階が上がったわけではない期間が挟まっています。
背景6:分野そのものが若い。
専門はバリアフリー教育と障害学で、障害学は比較的新しい領域です。
ポストの数が多くありません。
受け皿が育つのを待つ時間も含まれていたと考えられます。
背景7:研究が長期の記録を必要とする。
博士論文は視覚と聴覚を失う過程と、指点字による会話の再構築を扱っています。
短期の実験で結論が出る種類のテーマではありません。
年単位で積み上げた記録が材料になるので、まとまるまでに時間がかかります。
背景8:支援を仕組みに変える作業をしていた。
2001年から2008年まで同じ研究センターに所属し続けています。
この間に通訳介助者の費用を大学が負担する形が整い、公式サイトはこれを「東大モデル」ともいうべき支援システムと呼んでいます。
肩書きが上がるのを待っていただけの期間ではなさそうです。
以上はあくまで編集部の予想・推測です。
ご本人が理由を語ったものではありません。
学歴の一覧
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 1982年3月 | 筑波大学附属盲学校 高等部普通科 卒業 |
| 1983年 | 東京都立大学人文学部 入学(盲ろう者として日本初) |
| 1987年3月 | 人文科学科教育学専攻 卒業 |
| 1989年3月 | 大学院人文科学研究科 修士課程 修了 |
| 1992年3月 | 博士課程 単位取得満期退学 |
| 2008年5月 | 東京大学より博士(学術)取得/論文博士 |
大事なのは1983年です。
盲ろうの方が大学に入るという例が、
日本でそれまで無かった年にあたります。
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職歴の一覧
| 時期 | 役職 |
|---|---|
| 1996年7月 | 東京都立大学人文学部 助手 |
| 1996年12月 | 金沢大学教育学部 助教授 |
| 2001年4月 | 東京大学先端科学技術研究センター 助教授 |
| 2007年4月 | 同 准教授 |
| 2008年10月 | 同 教授 |
1996年は7月に助手、12月に助教授。
半年のうちに2度動いています。
東京から金沢へ拠点を移した年でもありました。
博士論文で扱ったこと
2008年5月に東京大学へ出した論文の題名は、
「福島智における視覚・聴覚の喪失と『指点字』を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」です。
題に自分の名前が入っているのが目を引きます。
研究対象が自分自身ということ。
当事者であることが不利ではなく、
材料の側に置かれている構造です。
非常勤で関わった学校
| 時期 | 学校 |
|---|---|
| 1988年4月 | 筑波大学附属盲学校 高等部 国語科 |
| 1993年4月 | 国立身体障害者リハビリテーションセンター学院 手話通訳専門職員養成課程 |
| 1994年4月 | 横浜国立大学 教育学部 |
| 1995年4月 | 高知大学 教育学部 |
| 1996年4月 | 日本社会事業大学 |
最初の勤務先は自分が卒業した盲学校でした。
1993年には手話通訳の養成課程にも関わっています。
常勤の職に就く前から、
教える側に立ち続けていたことになります。
受賞と役職も並べておく
職歴だけでは見えない部分があります。
賞と、引き受けている役職も
あわせて見ておきましょう。
| 年 | 内容 |
|---|---|
| 1996年 | 母・令子さんとともに吉川英治文化賞 |
| 2003年 | 米誌TIMEで「アジアの英雄」に選出 |
| 2008年 | 盲ろう者として世界初の大学常勤教員に |
| 2015年 | 本間一夫文化賞 |
| 現在 | 全国盲ろう者協会 理事/世界盲ろう者連盟アジア地域代表 |
1996年の受賞は親子そろってです。
研究者としての歩みと、
当事者団体での役割が並走してきたことが分かります。
よくある質問
高校はどこですか?
筑波大学附属盲学校の高等部普通科です。
卒業は1982年3月です。
大学と専攻は?
東京都立大学人文学部の
人文科学科教育学専攻です。
1983年入学、1987年卒業になります。
博士号はどこで取ったのですか?
東京大学です。
2008年5月、論文を提出して得る論文博士という形でした。
東大の前の職場は?
金沢大学教育学部です。
1996年12月から助教授を務めています。
「世界初」というのは何のことですか?
盲ろう者として大学の常勤教員になったことを指します。
2008年のこととされています。
まとめ
- 1982年に筑波大学附属盲学校を卒業
- 1983年に東京都立大学へ、盲ろう者として日本初の進学
- 1996年7月に助手、同年12月から金沢大学の助教授
- 2001年に東京大学先端研、2008年10月に教授
- 博士論文のテーマは自身の視覚・聴覚の喪失と指点字
並べてみると、
ひとつの段に何年もかかっていることが分かります。
8月24日の放送で語られる言葉も、
この長さの上に乗っています。

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