【結論】福島智さんは、目も耳も使えない状態で大学の教員になった研究者です。日本初と世界初を、ひとつずつ持っています。
- 1962年12月25日、兵庫県神戸市の生まれ
- 生まれつきではなく、3歳・9歳・18歳と段階的に視力と聴力を失った
- 1983年に盲ろう者として日本初の大学進学(東京都立大学)
- 2008年に盲ろう者として世界初の常勤大学教員になった
- 声を出して話せる。日常は関西弁、ピアノも弾く
- 登場は2026年8月24日(月)夜8時 NHK Eテレ「ハートネットTV」
NHK Eテレの番組表に「盲ろうの大学教授・福島智」という名前が出ています。
盲ろうとは、目と耳の両方が使えない状態のこと。
その人がどうやって大学の教員になったのか、公開されている情報からたどってみました。
- 福島智さんの生い立ちと年齢
- 日本初・世界初の中身
- 研究職に就くまでに経由した場所
- 肩書きの表記が資料でずれている理由
【予想】なぜ東大の前に、金沢を経由しているのか
ここからは当ブログの予想です。
福島さんの職歴を並べると、意外な順番が出てきます。
東京都立大学の助手になったのが1996年7月、そのわずか5か月後の1996年12月に金沢大学の助教授へ移っているのです。
予想の結論はこうです。
福島さんが進んだ道は、あらかじめ用意された制度の上にはなかったのではないか。
そう見る注目点を6つ挙げます。
注目点1:博士課程を「単位取得満期退学」で出ている
福島さんは1992年3月に東京都立大学大学院の博士課程を単位取得満期退学しています。
つまり、この時点では学位を持っていません。
学位を取ったのは、はるか後の2008年5月、東京大学からの論文博士でした。
注目点2:退学から助手まで4年ある
1992年に大学院を出て、常勤の助手になったのは1996年7月。
この4年間は、非常勤講師をいくつも掛け持ちしています。
横浜国立大学、高知大学、日本社会事業大学など、勤め先が全国に散っています。
注目点3:学位より先に「教える経験」が積み上がっている
いちばん早い非常勤は1988年4月、筑波大学附属盲学校 高等部 国語科でした。
これは大学院の修士課程に在学中の年です。
ここは当ブログの見立てですが、研究者としての肩書きより先に、教える仕事のほうが先に始まっているのが特徴だと思います。
注目点4:常勤教員になったのが「世界初」だった
2008年、福島さんは盲ろう者として世界で初めて大学の常勤教員になりました。
逆に言えば、2008年まで世界のどこにも例がなかったということです。
前例のない採用が、都立大 → 金沢大 → 東大という移動の中で少しずつ進んだと見ています。
注目点5:受賞の相手が本人だけではない
1996年の吉川英治文化賞は、母親の令子さんとの共同受賞です。
本人ひとりの功績として扱われていません。
指点字という手段が親子で作られたものだからです。
注目点6:研究テーマに「能力主義」が入っている
東京大学の教員紹介ページに載っている研究テーマのキーワードには、障害、盲ろう者、障害学、コミュニケーション、指点字、通訳、情報、教育、リハビリテーション、能力主義が並んでいます(東京大学 UTokyo FOCUS)。
できる/できないで人を測る仕組みそのものが、研究の対象になっているわけです。
ここから先は予想です。
今回の回のサブタイトルは「苦悩と、生きる」。
番組の紹介文にも「障害とは何かを示す新たな考え方とは?」とあるので、制度や社会の側の話が中心になると見ています。
以上はあくまで当ブログの予想です。
福島さん本人が「制度の外を歩いた」と語った記述は見つかっていません。
プロフィールと年齢
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方 | ふくしま さとし |
| 生年月日 | 1962年12月25日 |
| 年齢 | 放送時点で63歳 |
| 出身 | 兵庫県神戸市 |
| 学位 | 博士(学術)/東京大学・2008年・論文博士 |
| 所属 | 東京大学 先端科学技術研究センター 学際バリアフリー研究分野 |
| 兼職 | 全国盲ろう者協会 理事/世界盲ろう者連盟 アジア地域代表 |
| 会話 | 指点字で受け、声で返す |
意外に知られていないのが、話し言葉が関西弁だという点です。
神戸の出身で、18歳までの音の記憶が残っているため、自分の声が聞こえないまま話すことができます。
ピアノの演奏も行うと記載されています。
本人の言葉をもっと読みたい方に、著書を探せるリンクを置いておきます。
▼ 福島智さんの本はこちらから
※在庫や価格は変わります。リンク先でご確認ください。
3歳、9歳、18歳という3つの区切り
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 生後5か月 | 眼病を患う |
| 3歳 | 右目を失明 |
| 9歳 | 左目を失明 |
| 18歳 | 特発性難聴で失聴、全盲ろうとなる |
この3つの区切りのうち、いちばん大きいのが18歳です。
そこまで音を聞いていたので、言葉の音が記憶に残りました。
だから今も、声を出して話せます。
そして失聴後の会話の手段になったのが指点字でした。
考案したのは母親の令子さんで、この方法は全国の盲ろう者に広まり、コミュニケーション手段の新たな選択肢になっています。
日本初と世界初、そこに至る経路
| 年月 | できごと |
|---|---|
| 1982年3月 | 筑波大学附属盲学校 高等部普通科を卒業 |
| 1983年 | 日本初:盲ろう者として大学へ入学(東京都立大学 人文学部) |
| 1987年3月 | 東京都立大学 人文学部 教育学専攻を卒業 |
| 1989年3月 | 修士課程 修了 |
| 1992年3月 | 博士課程 単位取得満期退学 |
| 1996年7月 | 東京都立大学 人文学部 助手 |
| 1996年12月 | 金沢大学 教育学部 助教授 |
| 2001年4月 | 東京大学 先端科学技術研究センター 助教授 |
| 2007年4月 | 同センター 准教授 |
| 2008年5月 | 東京大学より博士(学術)を取得 |
| 2008年10月 | 世界初:盲ろう者として大学の常勤教員(教授)に |
その間に務めた非常勤も、まとめておきます。
| 開始 | 勤め先 |
|---|---|
| 1988年4月 | 筑波大学附属盲学校 高等部 国語科 |
| 1993年4月 | 国立身体障害者リハビリテーションセンター学院 手話通訳専門職員養成課程 |
| 1994年4月 | 横浜国立大学 教育学部 |
| 1995年4月 | 高知大学 教育学部 |
| 1996年4月 | 日本社会事業大学 |
賞・映画・著書
| 年 | 内容 |
|---|---|
| 1996年 | 母・令子さんとともに吉川英治文化賞 |
| 2003年 | 米誌TIME(4月28日号)で「アジアの英雄」に選出 |
| 2008年 | NHK「課外授業 ようこそ先輩」の回が日本賞グランプリ |
| 2015年 | 本間一夫文化賞 |
| 2022年 | 11月4日、映画『桜色の風が咲く』が公開 |
著書には『渡辺荘の宇宙人-指点字で交信する日々』『盲ろう者とノーマライゼーション』『生きるって人とつながることだ!』『盲ろう者として生きて』『ぼくの命は言葉とともにある』などがあります。
まちがえやすいところ
| よくある思い込み | 実際 |
|---|---|
| 生まれつき目も耳も不自由 | 3歳・9歳・18歳と段階的 |
| 会話ができない | 声を出して話す。受け取りは指点字 |
| 指点字は本人が発明 | 考案したのは母・令子さん |
| ずっと東京の大学 | 間に金沢大学の時期がある |
| 学位を取ってから就職 | 就職のほうが16年早い(1992年退学→2008年学位) |
Q&A
Q1. 何歳ですか?
1962年12月25日生まれなので、2026年8月の放送時点で63歳です。
Q2. 出身はどこですか?
兵庫県神戸市です。
そのため日常会話は関西弁だと記載されています。
Q3. どうやって話を聞いているのですか?
指点字です。
相手が福島さんの指を点字タイプライターのキーに見立てて打つことで、文字が伝わります。
Q4. 研究テーマは何ですか?
盲ろう者と障害学に関する研究です。
専門はバリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティとされています。
Q5. 映画にもなっていますか?
はい。生い立ちを描いた映画『桜色の風が咲く』が2022年11月4日に公開されています。
Q6. 放送はいつですか?
2026年8月24日(月)夜8時00分から8時30分、NHK Eテレ「ハートネットTV」です。
「福祉をひらく」というインタビューシリーズの回で、サブタイトルは「苦悩と、生きる」です。
おわりに
福島智さんは1962年に神戸で生まれ、3歳・9歳で失明、18歳で失聴した研究者です。
1983年に盲ろう者として日本初の大学進学、2008年に世界初の常勤大学教員という2つの記録を持っています。
職歴を並べると、学位より先に教える仕事が始まっていたことが分かります。
会話に使う指点字は、母の令子さんが考えた方法でした。
放送は2026年8月24日(月)夜8時、NHK Eテレです。

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