【結論】竪谷博さんは、40歳のときに料理人のキャリアを一度置いて南極観測隊の調理担当に転じた人です。いまは東京・西荻窪で居酒屋を営んでいます。
読み方はたてや・ひろしさん。
生まれは1972年の東京都です。
昭和基地での越冬は2度経験しています。
登場するのは2026年9月28日(月)夜10時24分、日本テレビの「Switch-背中を押してくれたあの人-」。
放送はわずか6分という短い枠です。
- 名前は竪谷博さん。1972年に東京都で生まれた料理人
- キャリアの出発点は日本料理店での修業。そのあと無国籍居酒屋へ
- 南極観測隊への応募は2回目で合格。1回目の第54次隊は落ちている
- 第55次隊では調理担当が自分だけ。24名分の食事を毎日作った
- 帰国から4か月後には杉並区で自分の店をオープンしている
- 2度目の南極は第61次隊。こちらは調理担当2名、越冬隊は30名
- 竪谷博さんの基本情報と、たどってきた道のり
- 番組が立てる「あの人」は誰かという予想
- 1度目と2度目の南極行きを並べた比較
- 公表されていること・されていないことの線引き
番組表に書かれているのは「南極観測隊調理隊員から居酒屋店主へ」という一文だけ。
でも竪谷さんは旅行メディアの長いインタビューに答えていて、そこに細かい経歴が残っています。
まず予想から、そのあと事実を並べていきます。
【予想】番組が立てる「あの人」は、亡くなったお父さんではないか
ここからは当ブログの予想です。
この番組は毎回「背中を押してくれたあの人」を1人決めて話を組み立てます。そして竪谷さんの場合、その席に座るのは、すでに亡くなっているお父さんではないかと見ています。
根拠になりそうな点を6つ並べます。
1つめ。そもそも料理人になったのが父親のすすめだから。
竪谷さんは「料理好きだった父のすすめもあって料理の道に進み、それからずっと続けていますね」と振り返っています(たびよみ)。
人生の1本目の分岐が父親でした。
2つめ。南極を知った日が墓参りの朝だから。
お父さんの墓参りに出かける日の朝、新聞で南極観測隊員募集(第54次隊)の小さな記事を見つけた、というのが本人の説明です。
番組がほしがる決定的な一日が、父親と結びついています。
3つめ。本人がその偶然を特別視しているから。
「墓参りの朝に南極という選択肢が出てきたことには、運命というか縁を感じました」という言葉が残っています。
語り手自身が意味を与えた瞬間は、そのまま番組の軸になります。
4つめ。ちょうど進路に迷っていた時期だったから。
当時は無国籍居酒屋で長く働き、このまま続けるか、独立するか、料理をやめるかを考えていたそうです。
本人いわく「年齢的にもターニングポイント」。迷っている人を後押しするという番組の趣旨とぴったり重なります。
5つめ。1回落ちてから受け直しているから。
最初の第54次隊は不合格でした。悔しさから「もう1回受けてダメなら縁がなかったと諦めよう」と決めて再挑戦し、第55次隊で通っています。
6分の番組なら、この2回目が見せ場になります。
6つめ。その再挑戦を家族が支えているから。
「家族を含めて周りの人が僕の挑戦を応援してくれたのも大きかったです」とも語っています。
父親が扉を示し、残された家族がもう一度押した、という構成が作れます。
7つめ。番組が求めているのが「出来事」ではなく「人」だから。
タイトルは「背中を押してくれたあの人」で、公式の説明にも、きっかけを象徴する人や転機となった出来事について本人の目線で語ってもらう、とあります(番組表.Gガイド)。
竪谷さんの転機に登場する人物で、名前が挙がっているのは父親と家族だけです。ほかに候補がいません。
そんなわけで、「あの人」は父親、あるいは父親と家族の合わせ技になると予想します。
とはいえ放送内容は事前に出ていないので、これはあくまで当ブログの推測です。まったく別の恩人が出てくる可能性もあります。
竪谷博さんはどんな人?基本情報
もっとも詳しいプロフィールは、読売旅行が運営するメディア「たびよみ」のインタビュー末尾に載っています。
そこから分かることをまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 竪谷博(たてや・ひろし) |
| 生年 | 1972年 |
| 出身 | 東京都(市区町村は非公表) |
| 職業 | 料理人。現在は東京都杉並区で居酒屋を経営 |
| 経歴 | 日本料理店で修業 → 無国籍居酒屋の料理人 → 南極観測隊の調理担当 |
| 南極 | 第55次隊・第61次隊の2回、越冬隊として参加 |
| 執筆 | 幻冬舎plusで越冬中の連載を担当 |
ひとつ補足があります。
たびよみのプロフィール欄だけ姓が「堅谷」になっていますが、同じ記事の本文も、番組表も、連載ページも竪谷です。
この記事でも竪谷で統一しました。
南極の食事や昭和基地の暮らしは、本や映像でも楽しめます。
気になった方はのぞいてみてください。
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※取り扱い状況は変わります。詳しくはリンク先をご覧ください。
南極にたどり着くまでの道のり
子どもの頃から食べることが好きで、自然と台所を手伝うようになったそうです。
やがて味噌汁などを作るようになり、そこから料理そのものへ興味が広がっていきました。
修業先は日本料理店。
本人の説明では銀座の懐石料理店です。
その後は無国籍居酒屋に移り、長く腕をふるいました。いろいろなジャンルを作れるようになったこの時期の経験が、のちに南極でそのまま役に立ったと語っています。
南極の調理隊員という仕事自体は、知り合いから聞いて以前から知っていました。
ただ、その時点ではなろうとは思っていなかったとのこと。
気持ちが動いたのは、やはり墓参りの朝に新聞記事を見た日でした。
1度目と2度目の南極はここが違う
2回の越冬は、条件がけっこう違います。
並べてみると分かりやすいので表にしました。
| 比較項目 | 第55次隊 | 第61次隊 |
|---|---|---|
| 活動期間 | 2013〜2015年 | 2019〜2021年 |
| 赴任した月 | 2013年12月 | 2019年12月 |
| 調理担当の人数 | 1名(竪谷さんのみ) | 2名(通常の体制) |
| 越冬隊の人数 | 24名 | 30名 |
| 本人の実感 | 手探りで、あっという間に終わった | 自分の時間が持て、他の隊員の手伝いもできた |
| 帰国後 | 4か月後に自分の店を開店 | 連載「料理人タテヤの南極日記」を残す |
55次隊のときは調理担当が1人だけという特殊な体制でした。
通常、南極観測隊の調理隊員は2名です。
61次隊では相棒が中華の料理人だったため、お正月にはテーブルごとに中華系と和食系を並べるビュッフェにした、というエピソードも語られています。
よくある質問(Q&A)
Q1. 年齢は何歳ですか?
1972年生まれとしか公表されていません。
誕生日が分からないので、2026年9月の時点では53歳か54歳と幅を持たせるのが正確です。
Q2. なぜ40歳で南極だったのですか?
ちょうど進路を考えていた時期に、募集記事を見かけたからです。
独立するか、続けるか、料理から離れるか。その三択で迷っていたところに第4の選択肢が現れた、という流れでした。
Q3. 一発合格だったのですか?
いいえ。
最初に応募した第54次隊は不合格でした。
翌年の第55次隊で合格しています。
Q4. お店はどこにありますか?
東京都杉並区の西荻窪エリアです。
2015年7月にオープンした店に加えて、現在は2店舗が確認できます。
住所や営業時間などの詳細は、店舗情報をまとめた別記事で扱っています。
Q5. 家族について分かっていますか?
ほとんど分かりません。
父親が料理好きだったこと、再挑戦のときに家族が応援してくれたことは語られていますが、結婚しているかどうかなどは公表されていません。
推測で書ける部分ではないので、ここは空欄のままにしておきます。
Q6. 3回目の南極はあるのでしょうか?
本人は意欲を示しています。
「もし、3回目もチャンスがあれば、ぜひ行きたいですね」と述べており、昭和基地で研究をする人の手助けができるなら人生の誇りになる、とも語っています。
ただし決まった話ではありません。
放送情報と見どころ
放送は2026年9月28日(月)22時24分〜22時30分、日本テレビです。
ナレーションは声優の中村悠一さんが担当します。
尺は6分しかないため、経歴を網羅するというより転機の一点に絞る構成になりそうです。
墓参りの朝の新聞記事が映像でどう表現されるのか、そこが見どころになると予想します。
まとめ
竪谷博さんは1972年生まれ、東京都出身の料理人です。
日本料理店と無国籍居酒屋で経験を積み、40歳で南極観測隊に応募しました。
1度目の応募は落選。
2度目で合格し、2013年12月から昭和基地でたった1人の調理担当として越冬隊24名を支えました。
2015年3月に帰国、その4か月後には西荻窪で自分の店を開いています。
さらに2019年12月からは第61次隊でも調理を担当。
放送は9月28日(月)夜10時24分から日本テレビです。

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